墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録―

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            2011/03/03
 東北の精神科医が「仕事が暇なとき、内田樹のブログを見たついでに見ている」と言うのでGFにSを加えます。(そうか、さえ果氏もSだったな)かの国士の次の序列を与えられるなぞ名誉なことじゃ。(樹は「イツキ」で入れたら出てくる)
 仕事をやめたら一ヶ月は布団の中、の予定が、今朝も7時すぎにパッチリ目が覚めた。すぐに一緒に下りてくる落第坊主と、様子を窺ってから下りてくるメタボママにせっつかれて、本日も昨日とは別のコースを一時間以上のサンポ。途中で大好きな空き地に入ったから、もう終わりかと思っていたら、そこから引き返して、もとの大回りコースに戻った。そんなことが可能だとメタボママは判断している。なにしろ(リィほどじゃないにしても)賢い。
――お父さん似やもんねぇ。
 一方、絶滅危惧種は昨日も寝坊。今日も起き出してこないので様子を見に行くと、「完全に風邪ひいた」。気が張っていたのはお母さんの方だったようだ。ご苦労さんでした。
 そんなわけで、なんとなく机について、書き込みはじめる。この調子だと本物の日次記(ひなみき)――読みを入れたのは、そえ果さんのためですぞ―― になりそうだ。

 昨日から「大嫌い」な中国の現実を読んでいる。『墓標なき草原』。(原題は『Genocide on Mongolian Steppe―Oral Histories of the Chinese Cultural Revolution―』)例の福岡市民図書館が貸しだし禁止にしている本だ。題名通り、文化大革命時を中心にした漢族によるモンゴルへの侵略と迫害の聞き書き集である。その漢族の行為を筆者の楊海英(彼女もモンゴリアンなのだが、中国名を名のっている)ははっきりと「ジェノサイド」と呼ぶ。九大は堂々とただで貸してくれた。同じ市内でもバラバラの対応をするというのが本当の自由なのかも知れんな、と思ったりもする。
 まだ、全体の3分の1ほどしか読んでいないが、深刻だ、などという表現では扱いきれない。大半の日本人はこれまで通りに「さてしもあるべきにしもあらねば」と素通りするのだろう。いちいち付き合っていたら身がもたないのも事実だが。
 中身の話は、自分のなかでひとつの経験になってから話すことになるとは思うが、扉の写真の話だけ先にしたい。
 扉には延安に飛び込んだ生粋の共産主義者であるモンゴリアン夫婦の1949年と1975年の写真が載っている。どちらも人民服姿なのだが、若いときの表情はなんとも穏やかで、「友だちになれたら」と感じるほど魅力的だ。が、’75年の写真はただ老けただけでなく、実に硬い表情をしている。長年にわたって自分の内側を他人に見せまいとしてきたら、こんな表情になるのだろうな、と感じさせる。いまや政治家でさえ(Mrオザワを除けば)忘れてしまった顔だ。
 その2枚の写真が同じページに上下してある。その夫婦の顔を見ているだけでいたましさを覚える。(だから、現実なんて大嫌いだ)――『墓標なき草原』については本日ここまで――
 昨年だったと思うが、職場のインテリが、「『クロッシング』を見に行きませんか?」と誘った。脱北者の映画だ。あとで聞いたら、「ひとりで見るのが怖かった」と言う。・・・そのとき一度報告したな・・・が、40年ちかく前にソウルで(ということは当然字幕なしで)『火花』(題名は覚え違いをしているかもしれない。済州島事件を扱ったもので、ひょっとしたら原作は邦訳されているんじゃないだろうか)を見、数年前には『光州5,18』を見た者にはインテリが想定していたようなショックは起きなかった。
 別件的になるが、絶滅危惧種が中東や北アフリカの混乱をテレビで見て、「ひどいね」というから、「オレたちが生まれてきたあとでも、大抵の国では軍隊や警察が国民に向かって発砲したことがある。日本は珍しいとぜ。」と言うと、「ほうね?」。西南戦争以後、われらが皇軍は国民の誇りだった。ただ、沖縄での行動がその名誉を傷つけた。ただし、それを以て組織的行動(つまり軍の作戦行動)だったというような言説には与しない。
 それよりも『クロッシング』をつくった韓国の若者にはもはや「貧困」のイメージが喪われていることにショックを受けた。脱北者の家族の表情や手足の動きのなんと優雅なことよ! 
 ほんとうの極貧。ほんとうに自由を奪われたものには絶対にあんなたおやかな表情や身体表現はない。貧しさの追放に賛同するのは、腹を減らしている人が可哀想だからだけではない。あの無表情な人たちを見るのはもう写真だけでたくさんだからだ。・・・少なくとも、その3歩手前の人たちをオレは知っている。知っているだけではなくて、いまでもその人たちの顔と名前を覚えている・・・あの人たちはけっして他人に自分の心を読ませようとはしなかった。
 『墓標なき草原』にもどる。あの夫婦は相当に教育程度の高い人なのだと感じる。硬いままの表情の奥にそれははっきりと残っている。だから却っていたましさが募る。(もちろん、ここで言う「教育」は、いまの日本にある「ガッコ」とは縁もゆかりもないもののことじゃかんね。どっかの「ガッコ」の職員室を見ていて一番感じていたことは、「この人たちはキョウイクを受けたことがないんだな」ということだった。大丈夫、5パーセントくらいの学校では、いまもちゃんと教育が行われているはずだから。ただし、シュウユウカンでおこなわれているかどうかはワシゃ知らんよ)

 別のことか、続きのことか、よく分からないこと。
 モンゴルで粛正されたのは日本の教育を受けた人々が多い、と書かれている。彼らは新しいモンゴルを導く希望の星だったという記述に肯く。
 虐殺ということばがぴったりする掃討作戦が展開された済州島事件においても、立ち上がった日本からの帰国者が非国民どころか匪賊扱いをされた。たぶん、台湾の悲劇にも同じような要素があっただろう。それらの悲劇を九捨一入式にいうなら、識字層が無字層に家畜扱いされたことでもある。
 上で言った「日本の教育」というのは「皇民化教育」という言葉のイメージとは相当に違う。むしろ普遍性を求める教育だった。近代性とはそういうものだ。明治期に日本にきたアメリカ人たちが日本に残そうとした教育も同じ理念にもとづいていた。
 日本のしたことが「早すぎた」とは思わない。当然すべきことを日本はした。その教育を受けた人々に不幸が襲ったとき、彼らは日本の教育を受けたことを呪ったか? いや、けっしてそうではあるまい。レヴィナスの言うことを信じよう。「幸福の経験と記憶が、私に幸福なしでも生きる術を学ばせた」・・・あの夫婦が次々世代に記憶を伝達できましたように。

ほんとの別件
 『太白山脈』などの話は、いつかしたくなる時があるだろうから、また。
 絶滅危惧種は「今日、稽古はやすむ」そうだ。六日の発表会に向けて猛練習をしてきたのだから、まずは健康第一。