わがクレド

浮つくのは嫌だ。流されるのも嫌だ。オレは深く潜行して生きていく。
利口な奴らはどんどん先走れ。オレは落ち穂拾いをしながら歩く。
頭のいい奴らが一日で考えることを、20年かけて考えてやる。
公言は真に受けない。私語だけに耳を傾ける。
他人を説得するのは諦めよ。
一生涯チンピラのままで生き抜く。
オレはいつでも地面で熟睡できる。

GFSへ
 ほかの人たちは信じてくれないに決まっているけれど、社会人になる前に自分勝手に決めた信条です。三鷹のアパートの階段の記憶とダブっているから、腹がへったらFたちの部屋に押しかけていた頃だろう。(ノブタン、永久食券をありがとやんした)
 いま思い出してみても、不思議なほどに、その誓いに忠実に生きてきた。とくに私立学校の教員になってからは、「流されまい」「意志的であろう」と必死だった記憶がある。
 「頭がいいやつらが・・」以下については、頭のいい人は一日もかけないで一秒で考えるものなんだと60ちかくになって分かった。一方こちとらは20年どころか40年考えているうちに何を考えているのかも分からなくなったらしい。ええ、ままよ。
 「オレはいつでも・・」は、けっこう曲がりくねった生き方をしているときの、ほとんど唯一の心の支えだった。けっきょく地面に直接寝る機会はとうとうなかったが――40年ちかく前、ほぼ一ヶ月のあいだ、その日の宿代を稼ぐためにパチンコで勝ち続けた――雪の上に直接寝たことはある。(Gサンキュウ。至福の夜であった。)還暦はとっくに過ぎたのだから、もうあの信条は取り下げよう。その代わり、畳の上ではなく、布団もなしで熟睡したときのことを次回にでも報告する。
 これからは「意志的」であることも捨てる。いよいよ行き当たりばったり、落ち穂拾いに精を出すことにいたします。

別件 2011/03/10
 高校時代にごく親しくしていた同級生が、アルツハイマーでもう会っても会話ができない、という話が飛びこんできた。この前会ったのは30年ほど前になる。昨夜は目を閉じると、その子のいろいろな表情が浮かんできた。卒業した年の夏休みだったか、冬休みだったかに会ったときの言葉はいまも鮮やかに覚えている。
──大学に入ってびっくりした。みんなすごいとよ。あんたたち何も教えてくれんやったろうが。
 まだ、とても「さよなら」と言う気持ちにはなれない。いや、猛烈に会いたいと思う。話なんかできなくても全然問題ない。オレが誰か分からないなら、かえって好都合なくらいだ。