中薗英助『裸者たちの国境』
GFsへ 2011/03/15
『裸者たちの国境』を読み終えた。
弟との勝手な約束をやっと果たした。
済州島で孤児となり日本に密入国した女から結婚を迫られて殺害し、脱出しようとした日本人の中年男と、同棲相手から子供を生むことを拒まれれたユダヤ系アメリカ女性エステルがバイカル号で出会い、運命に導かれるようにアウシュウ゛ィッツに向かってゆくという話だった。
「クソ壺のうじ虫! 寄生虫! 詐欺師! 冷血漢! 野蛮人! 爬虫類!」自分が殺した女から浴びせられたことばが何度も男のなかで甦る。
ポーランドの一族をただひとりを残して失っていたヒロインは、アウシュウ゛ィッツに出かける前夜、父親ほどの年齢の日本人の殺人犯と一夜をともにする。
男はつぎのように考える。
「エステルは未来の存在として歴史を感じさせる。・・・・彼女は、すべてにおける専門家、つまり素人でありたいのだろう。・・・・人類の黄金時代は無数のエステルたちによってもたらされるのではなかろうか」
通訳として、ガイドとして、日本人ナミクラをアウシュヴィッツに連れてきたエステルは言う。
「ここはたしかに、現代文明の遺跡ですが、ここに来て見ると、これを作り出した現代文明そのものが、なぜまだ遺跡になっていないのか、不思議に思われるほどです。・・・・ナミクラさん。・・・・あたしは・・・・あたしは、百年でも生きていたいです。できるならば二百年でも・・・・三百年でも・・・・ここで死んだ人たちのかわりに」
ふたりは約束通りに、アウシュヴィッツから戻って別れる。
「二人とも、ただの人間ではないかしら。‥‥罪を犯しやすい、というよりも、もとから罪人である、裸の人間なのではないでしょうか・・・・しら」日本語が堪能なエステルは、別れ際にそう言う。「ではナミクラさん。・・・・あたしはあなたに感謝しますわ。もしガイドをしなければ、あたし一人では、とても恐ろしくて、オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)を見ることはできなかったのですから」
エステルと別れたあと、一人でオーストリアに向かったナミクラは、出入国検査官から職業を聞かれ、酔いに任せて冗談のように言う。
──I am a murderer
警備兵の制止も聞かずに国境へと歩きだすところで終わっている。
最初の設定からして相当に無理があり、とくに出来がいいわけでもない小説をどうして最後まで読んだのかというと、たぶんヒロインのエステルという「小柄で金髪ではつらつとした白人の女の子」の魅力にひきずられたのだろう。読みながら、エステルにはどこかで会っている気がした。いくつもの顔が浮かんできたんだが、読んでいる間はピタッとこなかった。C・W・ニコルの『勇魚』の次の小説のヒロインにそっくりだったのだ。
日本の女優さんにも、ひとりだけエステルにピッタリの人がいるのに気づいたが、それはいつか会えたときの話題にとっておきます。
別件
『めぐりあう時間たち』をみた。食い入るように見た。ヴァージニア・ウルフを演じた女優さんは名前も分からないままだったが、もう一度読んでみたいと感じさせた。現代のダロウェー夫人を演じた女優さんも、メリル・ストリープ(絶品だった)も、日本にはどうしてこのレベルの女優さんがいないのか、と感じさせた。が、たぶんそれは、ないものねだりなのだ。あのような女性自体が日本にはいないのだ。もしいても、制作者たちはそれをただメロドラマに矮小化してしまうから、あのような演技を要求される機会がないのだ。
『イン トゥ ザ ノース』も、いつか見る。