明日は木蓮がいっせいに咲きそうだ

GFsへ              2011/03/18
 いま暮らしている小さな団地は、一軒一軒が生活を楽しんでいる感じがあって気に入っている。犬の散歩コースには何軒も枝垂れ梅がある。花盛りはなんとも可愛くて、贅沢な気分を味わっていたが、そろそろ終わりに近づいてきた。
 その代わり、毎年楽しみにしているすぐ近所の家の木蓮が、明日にはもう満開になりそうだ。我が家では、10月桜がすでに我が世の春。中国原産だという夏椿も真っ白な花を咲かせている。馬酔木の花房もだいぶ伸びてきたし、寒緋桜も今週のうちには咲き始めるだろう。
 まだ真冬の服装のままだが、季節はどうやら一巡しかけている。
 チビたちは、お父さんが毎日いる状態にも慣れてきて、朝の散歩で興奮することもなくなった。おかげで平常コースをまわるだけですむから、そんなに疲れずにすむ。(有給休暇初日の朝の彼らの張り切り方には驚いたが。)
 絶滅危惧種もまた配偶者が家に終日いるのに慣れてきたみたいで、今のところは粗大ゴミ扱いを受けずにすんでいる。「失業保険はちゃんと貰うてね」。一階から聞こえてくる琴の音は、いつのまにか随分上達していて、音楽になっている。古典曲は本当にいい。講釈を拝聴すると、演奏している曲のほとんどが幕末につくられたのだそうだ。「天才たちは時代の変わり目に集中的に現れるもんらしいよ」
 そんな優雅な生活をしていることが、なんだか申し訳ないような気がする。が、許してもらおう。42年間働いてきたんだ、もう少しだけ感慨にふけっていたい。
 と言いつつ、「八甲田山」だの「ガタルカナル」だのがすぐ連想されるような状況がまだ続いていて、なんともやりきれない。その一方で被災した人たちの物腰には畏敬すら覚える。この国は普通の人たちが支えてきたんだということは前から分かっていたつもりだったが、改めて「すごいな」と感動している。その人たちを蔑ろにする人びとを許さない。・・・とオレが力んでも、誰一人痛痒を感じはしないのだけど。
 が、イタリアの小さな田舎に出てくる人たちもいいが、日本人は、特に東北の人は、ほれぼれするくらい素敵だぞ。

別件
 E・H・カーの評伝『誠実という悪徳』(ジョナサン・ハスラム著 現代思潮新社)を読みはじめた。たぶん、一週間くらいはこの本に専念することになる。