ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』

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 ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』を読んだ。いい本だった。ひとりの人間がなしえたことと、なしえなかったこと。その間に彼が考えたことと、したこと。そして、その間に彼が感じたことと、感じなかったことが、ほぼ時間の順序にそって要領よく語られていく。訳語もいい。それはたぶん、訳者の手柄というよりは、原著者ジョナサン・ハスラム(E・H・カーの晩年のアシスタント)の英語がいいのだろうと思う。
 題名は、徹底的なリアリストとしてのカーと、ロマンティストとしてのカーは二重人格だったのではなく、むしろ、カーはそのごく自然な人間性を失うことがなかったことを意味している。そのロマンとは、ひとことで言えば、「人間の歴史は進歩していく」という展望だったらしい。そうでなければ歴史学は成り立たない。しかし、その展望がが現実の前に潰えたとき、かれの人生もまた終焉を迎えた。その残酷さを、じつに丁寧に(個人生活の部分も含めて)、しかも簡潔に描いている。
 その筆致は、読者にかれの仕事部屋にいるかのような臨場感をもたらす。とくに最晩年の、親友だったドイッチャーの妻との協働は、そこだけでも映画にできるのではないかと感じた。いや、イギリスのことだから、そんなに遅くない時期に映画化されるのではないだろうか。
 カーはリアリストでありつづけるために自分から敗北を選んだ観がある。だが、カーの言おうとしたこと、伝えようとしたことは、いまも傾聴するに値する。ではあるが、彼自身の著作は、『歴史とは何か』(岩波新書)だけにしておこう。そこから先は、こっちの能力を超えている。

 本当ならしばらく手許に残しておいて、も一度拾い読みをしながら反芻したかったが、図書館から借りたのもだから返すしかない。
 そのかわり下に、その一部分だけ抜き出す。ただし、それらは彼の仕事の主要部分ではない。

『誠実という悪徳』 E・H・カー
 「歴史学とは何についての学問か、この答えを発見する最も良い方法は、実際に歴史を書いてみることだと私が考えるとしたら、それはたぶん、生まれながらの私のイギリス的な経験主義のせいでしょう。あなたもそうあって欲しいと思います。そして、あなたが書こうとするものが、観念や思想の歴史であるとしたら、ぜひ、その社会的・歴史的基礎をしっかりと把握してください。我々歴史家は大いにあなたの役に立てると確信しています。だからぜひ、あなたの仕事を歴史以外の他の分野内に限定したり・・・しないようにお願いします。私はあなたのものを読みつづけるのですから──たとえあなたが歴史を書こうとしないとしても。」
──クェンティン・スキナーへ


 「心理学者は、客観的科学としての心理学を破壊してきた。──歴史家はその(※客観的科学としての歴史学の)破壊の途上にいる。」

「1914年にあるひとつの文明が滅びた。・・・そして、第一次大戦が残した廃墟さえも破壊し尽くしたのが、第二次大戦だった。」
 彼は、残された人生の時間を、まさにこの代替物を探し求めるのに費やしたのだ。そして1980年の終わりまでに、何ら実証できないユートピアを探し求めてもまったく無駄であるという事実と自分自身との折り合いをつけなければならなかったのである。                    ──著者ジョナサン・ハスラム──

別件
 近所のウスラウメが咲き始めた。ボケが咲きだすのもそう遅くはあるまい。