真山青果と吉村昭

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2011/03/26
 今日の読売新聞に芥川喜好の「時の余白に」が載っていた。毎月末の土曜日に載っているのかな。
 吉村昭と木田金次郎のことだった。岩内に木田金次郎の絵を見にいく計画は、当分お預け。が、いつかまた計画し直そう。
 今日は、へんな人のことを思いだしたから、書く。
 もう10年以上まえか、一年だけ来ていた地学の教師がいた。毒舌の持ち主で、あの学校の生徒には合わず、次の年には久留米附設に移った。いまは東京の娘さんのところにいるという話だが、住所は知らない。それどころか実は名前を思い出せないのです。
 その人は、生徒にも、教員にも、相手をけしかけるような物言いをする。それで、職員室でも煙たがられていたのだが、自分は好きだった。職場のインテリも、「われわれの高校生時代には、あんな先生が必ずいましたよね」と言う。「おったよ。今度はなにを言い出すか楽しみやった」「そうですよね」。
 ああ、オレは高校に来たんだ、と感じた理由のひとつは、そういう人の存在だった。いつもこちらを刺激しつづける人。こちらのプライドなど平気でずたずたにして奮起させる人。
 高校だけではなく、中学のときの担任のジッチャン(何度も書いたことがある。江田島出身の英語教師)もまたそうだった。あるときHRで、「ちっぽけなヒロイズムなど捨てろ」とこっちを向いて言った。こっちを向いて言っているから「オレに言っているんだ」というのは分かったけど、何についての話か思い当たることがなかった。月に一度ずつくらい回ってきていた宿直の夜は泊まりに行っていたのだから、何の話だったのか聞くチャンスはあったはずなのに、他の話ばかりして終わった。他の話の代表は、女の子の品評会だった。それから、学校に来なくなった同級生のその後の話。女の子については、「嫁さんにするなら××。恋人なら○○」という独断と偏見が一番面白かった。そのほかに「△△はああいう性格なんやから許してやれ」というのもあった。△△は転校生で実に綺麗な髪の女の子だった。が、何を許せと言っているのかは分からなかった。××とはいまもメル友だ。○○には、中学以後会った記憶がない。
 もとに戻って、その毒舌先生があるとき、「お前、さっさとやめれ。常勤になれん若い人を可哀想と思わんのか」という。(ああ、この人もオレの年齢を勘違いしている)・・・当時はまだ40代だったはずだ。・・・年齢を勘違いされた話は、いずれまとめてします。・・・
 その人が、「もう小説やらアホクサくて読めん。読むのは吉村昭くらいだ」と言ったことがある。それ以前には徳田惑堂先生から職員室で突然、「××先生。芥川のどこが面白いんですか!?」とばかでかい声で質問されて可笑しくなった話はしたことがある。徳田先生の気持ちがストレートに伝わってきたのだ。
 無津呂先生から「私を騙し続けた大江健三郎焚書にしました」という手紙が届いた話もしたね?
 徳田先生が、時代小説で面白いのはないか、というので、何冊か文庫本を集めて渡した。
 野呂邦暢諫早菖蒲記』『落城記』、富士正晴『たんぽぽの歌』、田宮虎彦『落城』、海音寺潮五郎『二本の銀杏』(だったかな?)、福永武彦の『風のかたみ』も入れたんじゃなかったか。
 しばらく経って、机の上にまとめて戻されていた。感想はなしだった。ただ、引退なさったあとで、自分の友人たちとの飲み会に呼び出しがかかったから、「合格」だったのだろう。
 今日は、なにをグダグタ書いているのかというと、やはり思い出したことがあるからだ。
 徳田先生の注文だから、とっておきを選ぼうと考えた。そのとって置きに加えようか、どうしようかと思ってやめたものがある。戯曲だったから。真山青果『玄朴と長英』。何年か前、ロマン・ロランの戯曲を読み直して興奮したときも、「日本にも、このレベルの戯曲を書いた男がいた」と思った。その戯曲のなかでは、ナマの人間と人間とが真正面から向き合っている。
 今日の話のオチは短い。
 毒舌先生があるとき、「オイ、これを読め」と、2冊の文庫本を机に置いた。いや、投げ出した。吉村昭『長英逃亡』である。その後、かれの姿は見かけなくなった。(と、四捨五入してカッコつけておこう)その本はいまだに寝室の布団の前に積み上がっている。が、鴎外の史伝が先になるかもしれないが、いつか読む。読むときはたぶん、それ以外の彼の作品もまとめて読むことになると思う。なぜなら、もし絶滅危惧種が読んだとしたら(もうけっして読まないだろうけど)、「どうしてこの人がノーベル賞をもらわんやったとね?」と言うと確信しているから。

別件
 エリザベス・テーラーの訃報が載っていた。もっと年上だと思いこんでいた。彼女自身にはまったく興味はない。ただし、小学校にいく途中の電柱にあった『いそしぎ』(だったと思う)のポスターの悩ましさはすごかった。なにしろ、当時ストリップで食いつないでいた嘉穂劇場の看板でも踊り子さんはワンピースの水着を着ていた時代なのだ。
 『やけたトタン屋根の猫』『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』どちらも舞台劇の映画化だが、いい映画だった。彼女に、『欲望という名の電車』の(名前を忘れた)姉さんの役を演らせてみたかったな、と思う。ヴィヴイアン・リーが演じていた役だ。あるいは、舞台で演ったことがあるのかもしれない。そう思うくらいピッタリの役柄だった。