丸山豊『月白の道』

               
書呆子へのメール(増補版) 2011/03/28

 いつも夜中まで起きているんだな。
 オレはここ数年、晩飯を食ったらもう、あとは寝るだけ、の状態が続いていたが、仕事をやめたらまた夜の時間が復活した。ただし、12時前には寝ている。そのかわり朝は、今日、「寝過ごしたか」と起きたら、7時半だった。つまり、働いていたころより1時間ほど遅く起きる程度。一日がずいぶん長くなったはずなのに、実感では、むしろ一日がやたらと短く感じる。たぶん、頭のなかで何かがずっと継続しているのだろう。
 4月からは、あるお稽古ごとをはじめようかと思っているのだが、あるいは、その時間だけ拘束されるのが苦痛に感じるようになるかも知れない。
 書呆子どのの意見にはまったく賛成。
 あんまり意見が一致しすぎると、今度会ったときに話すことがなくなるな。
 ただし、戦前のエリートが、今のエリートより優秀だったとは思わない。かれらのしたこと、あるいはかれらが防げなかったことの規模は、福島原発の比ではない。むしろ、いま起こっていることへの対処の仕方と戦前・戦中の官僚(軍部官僚を含めて)のそれとは、ひどくパラレルに見える。
 また、戦前の日本が、戦後の日本よりましだったとも思わない。明治の日本のほうが昭和の日本よりもよかったという考え方もとらない。ただ、エリートにとっては働きやすい時期だったとは思う。それは、対処すべきだと彼らに見えた事柄が昭和期に比べたらまだまだ単純だったからだ。エリートの能力の差とは関係ない。
 大分大学の教員のことは、電話で話した。
 彼女の短い論文を読んだことがあるが、簡単に言うと、日本のアジア外交はつねに民間経済活動の後追いだった、という内容だった。民間人が開拓した所に、官僚たちが偉そうな顔をして出張ってくる。それが戦前からの日本のパターンだったんじゃないか。
 その民間経済活動のトップまでが、ただのお受験エリートだったということが今回あからさまになった。政治家にいたっては、自分たちが国家を担う責任者になるという自覚もなしに就職している。たぶん彼らには、「国家」というもののイメージそのものがなかったのだ。だから、生徒たちに話したように、「国家」は国民にとっては暴力装置だということが分かっていなかった。自分たちがその暴力装置を動かす頭目になったという自覚がなかった。国家が国民の被害者になることはない。国家はつねに加害者なのだ。
 「責任感」をどう教えるのか、は、たぶん、教育関係者の仕事の範囲を超えている気がする。いまの単層?会という建前をぶちこわして、エリートの存在を社会が認知するのかしないのか。
 われわれの時代は、社会が大学生にたいして優しかった最後の世代だった気がする。その優しさに応えようという意思が、わずかだけでもわれわれの中にはあったし、応える努力はそれぞれしてきたと思うが、如何?
いまは、それが、どちら側にもない。たぶん。
 エリートという存在についても同じだ。
 E・H・カーの評伝を読んだ。
 かれの言おうとしていることを、ひとことにまとめるなら、「歴史にかかわることなしに、歴史を語ろうとするな。」ということなのだろう。
 知り合いがみな、体だけでも無事だったというのは、ともかく良かった。
 この国の人びとの優雅さは、歴史的につねに繰り返される災厄によって練り上げられたものなのかもしれないな、と思い始めている。地震津波、台風、洪水、山崩れ、土石流、噴火、火砕流。人びとは、それらの人智を超えた災厄に対して、黙って受け入れるしかなかった。戦争もまた、人びとにとっては、ほぼ自然災害と同じように受け取られた。
 この国の人間は、大きく二つに分けられるのかもしれない。何らかの形でその災厄を経験した者たちと、災厄を知らない者たち。
 東京に出て行って、ぎょっとしたことのひとつは、都会育ちの同世代の軽さだった。「この国は田舎者が支えている」その考えはいまも変わらない。ただし、東京は巨大な田舎だとも思うが。
 福岡の久留米に丸山豊という詩人がいた。ビルマ九死に一生を得た人だ。
 総攻撃命令(命令書を書いたのは辻マサヒロ)を無視して部隊に復帰命令を出し、(その命令書を自分で作成して部下に持たせた。)自らは自決した水上少将のことを語った『月白の道』は、まだしっかりしていた頃の母親が「読みたい」と言い出して買ってやった。たぶんまだ飯塚の居間にある。
 その人が、すでに癌で余命幾ばくもないときテレビのインタビューに応じて、「いまの若い人たちのことを非難する気にはなれない。あるいは彼らの時代は私の生きた時代よりもっと生きづらいものになるかもしれないのだから」と答えた。正直にいうと、テレビの前で正座して泣いた。
 お前はちょっとタバコののみすぎだ。オレもまだのんでいるけど、6ミリのラークハイブリッドを二日で一箱。
 別に自慢にはならないけど、「黄金の10年間」を自分でさび付かせるようなことにだけはならないように、お互い気をつけよう。

別件
 公園の桜がほころびはじめた。福岡では、これから2週間が「大いなる季節」になる。