「ぼくはサラリーマンになる」

GFsへ 2011/04/01

 まだ小学校の低学年だったと思う。「将来の夢」というふうな題名の作文に「サラリーマンになる」と書いたのを覚えている。その理由はもっとはっきり覚えている。
 学校で仲良くなったT君の家に遊びに行った。炭坑の社宅だった。遊んでいるうちに夕食の時間になった。夕刻といっても、たぶん6時前だったのではなかったか。外はまだ十分に明るかった。「みっとちゃんも食べる?」「いや、ボクはいい。」
 両親と友人と、それから妹もいた。家族が全員そろって食卓についているのが、嫉ましいくらいにうらやましかった。
 自分の家は商売をしていたから、晩飯のとき食卓につくのはたいてい子どもたちとばあちゃんのみ。親はまだ働いていた。晩飯の途中で戻ってくることもある。晩飯を食いおわっても戻ってこないときは、手伝いに行った。家族ぜんぶで働くことは子どもたちにとっては最高のレクレーションではあったが、そうじゃない家庭、家族そろって、しかも明るいうちに夕食をとる家庭があるということを想像したことがなかった。
 T君のお父さんはサラリーマンだから時間通りに働けばすむ、のだと思いこんだ。「ぼくはサラリーマンになる」。T君のお父さんはその日、夜勤だったんだな、と思い至ったのはもう大人になってからだった。3交代制の徹夜になる坑内労働に出かける日だったのだ。
 ときどき用務員さんが教室にきて、先生になにごとか耳打ちすることがあった。「○○さん。」呼ばれた級友はすぐに帰宅する。中にはそのまま学校に来なくなる者もいた。
 中学の2年のときではなかったろうか。小学校のときから同じクラスに何度もなったhが同じように呼び出されて、そのまま学校に来なくなった。「お父さんの代わりに働きに出ている」というのを誰からか聞いた。それから暫くたって、道を歩いていると遠くから「アラッくーん」という声が聞こえた。振り向くと、砂利の山の上にhが立って大きく手を振っている。うれしそうだった。「おーい」
 それっきり会っていない。
 去年だったか、今年に入ってだったか、飯塚に帰ったときに幼なじみと出くわした。会うといつも「××が死んだと知っとうな?」などといろんな地元情報を教えてくれる。
──ばあさん、どげしよるな?
──ああ、老人ホームで安心して暮らしよる。
──そりゃ良かったなあ。
「このごろ、同窓会がおもしろうなって年に何べんも泊まり込みで集まっとる」という。「もう、嫁さんとも子ども達ともなんも話やら合わんめぇが。あいつたちと集まって飲むとが一番ばい」
 そのメンバーを聞いていると、hの名前が出てきた。
──h、元気にしとうと?
──ああ、ばりばり元気ばい。
 別れたあと、何だかうきうきして歩いた。

別件
 読みさしになっていた、ハンス・ヨナス『グノーシスの宗教』を開いて、びっくりした。『夜よねむれ』はかなりな程度そのなかにある詩編の影響を受けている。
 「そうか。そういうことだったのか」
 だったらもう、この本は卒業しよう。もともとは、ユダヤ教カソリックをつなぐミッシングリングを発見するために買った本だった。が、どうやらハズレ。むしろ、カソリックへの反発が生んだ神秘主義のような気がする。