ハナミズキが美しい

GFsへ     2011/04/25

 玄関のハナミズキがなんとも美しい。今年は当たり年で咲きまくっている。ベンチに座ってタバコをふかしているだけで幸福な気分になる。草→木→石の順番になるのだそうだが、果たして?
 土曜日は、『法然上人絵巻』を見始めたのだが、がっかりしてすぐチャンネルを替えた。国宝の絵巻をすべてデジタル化したというのなら、、詞書きを現代語訳したものをナレーションで流しつつ、ただその数百㍍にもなるという全体を見つづけたかった。それがもっとも正しい演出だと信じるが、顔料がどうの、見方がどうのと講釈を聞かされたのでは、自分で見ている気がしない。見ている人間のことを想像できない制作者は最悪の無能者なのだ。(あっしは最良の無能者のつもりです)
 大昔、30年以上まえ、NHKでけっこういい番組があった。映像と音だけにちかい作品で、ほとんど科白がない。、佐々木某の演出だった。たしか、ロシアかどっかで賞をもらったはずだ。思わず引き込まれて見ているうちに、カメラをおとす場面があった。「あっ」大写しになったカメラが石に落ちる。心臓が止まりそうになった。そこから先がどうなったのかは知らない。以後、佐々木某の作品だと宣伝してあるものはいっさい見ていない。肝心の「はじめて見る」人間を想像する力が彼にはない。あるいは、自分以上の感受性の持ち主がいるということを彼は想像できない。
 チャンネルを総合に切り替えたら、震災関連の番組があっていた。藻谷浩介をはじめて見た。司会をしていた嘉穂高校OBの蒲田(?)や、三春町在住だという玄侑宗久も、手短に実質的なことを圧縮して述べようという姿勢がみえて好ましかった。
 そのなかでの玄侑宗久の発言にはっとなった。ひとつ離れたところに坐っている藻谷浩介もはっとしているのがわかった。
 「避難生活をしている人たちに、仮設住宅ができたら入居を希望するかというアンケートをとった。25%の人は希望しないと答えた。その25%の人たちに、ではどうしたいかと質問すると、30%の人がこのままでいたいと答えた。」全体の8%ほどの人がそう答えたことになる。たぶんその人たちは高齢者だ。避難している体育館などがすでに寄り合い所の役割を果たしているのだと思う。その人たちの場合は、プライバシィやら個人情報やらより前に、いっしょにいることの安心感のほうが大切なのだ。
──あたしは無理やけど、そっちは体育館でも暮らせるやろ?
──オレもいっしょならお前も大丈夫やろもん?
──そやけどねぇ。
 陽子先生からハガキが届いた。『夜よねむれ』に汚れない清々しさを感じたとある。80歳の大先輩からそう言われた62歳はどこかに隠れてしまいたくなった。いやいやこの62歳にはまだまだ中学校を卒業した春休みが続いているのです。
 そのハガキのなかに、被災者のけなげさに泣いた、とも書かれている。身分不相応の義援金を拠出したとも。それらの善意が、次の場所で行き直す希望にあふれた子どもたちや、いまのままでいたいお年寄りたちの手助けになりますように。

別件
 「アガサ・クリスティ」がどうのこうのという映画を最後まで見た。なにしろ映像が美しくて見飽きなかった。見ているあいだ、ホンモノのアガサ・クリスティの写真を思い出せなかった。それほどヴァネッサ・レッドグレーブははまっていた。ただし、書いているものから想像するに、主人公の推理作家はむしろ映画とはまったく反対で、性的な魅力に乏しい、知り合いになったりもしたくない人格だったように感じている。
 ダスティン・ホフマンも好演。ヴァネッサ・レッドグレーブの引き立て役に徹していた。・・・いつものことながら・・・日本ではあんな映画は永久に作られないな。