忘れる能力

GFs 2011/04/26
 玄侑宗久のことが気になってインターネットに名前を入れてみた。お寺は臨済宗だった。妙心寺派とあるが、それがどんな派であるかはまったく知らない。出身高校は・・・予想どおりピンポンで、Fやsの後輩。安積だった。
 かれのことが記憶に残った最初は、たまたまテレビで瀬戸内寂聴との対談を見たときだった。
──仏教では、亡くなったひとは個性を失うはずなのに、私たちのなかでは印象が濃くなっていくのはなぜでしょう?(半分は新米引きこもりの創作)
──・・・それが普通じゃないですか。
 そういう答え方を聞いて、「こいつ出来るな」と感じた。
 自分なりに正確に言うと、印象が濃いい(タイプミスなのではなくて、わがふるさとではそう言う。「濃いい」「黄(きな)い」と使う。黄は、「きなくさい」「黄粉」の「きな」である)というのは、実はその人やものごとやその背景の、自分にとって不要な部分が捨象されることで立体感がましていくのだ。簡単に言えば、亡くなったその人の大半のことを忘れるから陰翳を深く感じていくのです。
 われわれにとって大切なのは覚えておくことではない。大切なのは思い出すことだ。思い出したときにはじめてわれわれはその人やそのことに出会う。その人やそのことに出会うためには、いったん忘れないと思い出すことはできない。その忘れていた期間が長ければ長いほど、出会いは深くなる。
 別の文脈だったけど、わが師が、「もうしばらく会えないかも知れないから覚えて置け」と言って話し出したことのひとつが「忘れろ」だった。そのあとに「自分のことばだけが残る」と続いていたが、不肖の弟子は、ただただ忘れた。お陰で師の呪縛からフリーでいることができた。それで良かったのだと思っている。
 ところがいま学校では、そのもっとも大切なことのひとつである「忘れる」ことを教えない。忘れさせるテクニックや思い出させる仕掛けはもともとの学校にはあるとは思うのだが、まず忘れさせる意志がない。忘れさせない。忘れる生徒は「どうしようもない馬鹿」なのだ。まるで自分は何も忘れないかのように。実際にはたぶん、いや確実に生徒以上に忘れっぽい。生徒以上に忘れるから大人になっていられる。
 いわゆる旧制中学の卒業生たちがその時代を懐かしむ理由のひとつは、その「忘れさせる」仕掛けが機能していたからのような気がする。
それをひとことで言うなら「不寛容の教育」ということになるのだろう。そこでは「育った環境」は考慮にいれられない。自分の立場も、親の学歴も、社会的地位も関係ない。入学した時点ですべてがリセットされる。なによりまず、「自分」にしがみつかせない。
 その徹底的に「自分の個性」を無視された教育をうけて育った者は、あとで振り返ったとき、その時がいちばん「自由」だったということに気づく。なにより「自分」から自由でいられたのだ。(尾崎豊、没後20年なんだそうです。でも、あの顔写真をみただけで、「はい、さよなら」)
 もちろん、「心配するな。神さまはオレたちを忘れられるように創ってくれているんだ。もし全部覚えていてみろ。そんな人間は偏差値は高くなるかもしれないけど絶対にアブナイぞ。」(生徒には何のなぐさめにもならなかっただろうけど、少なくとも無能教師は本気でそう言っていた。それが本気だと感じた生徒の数は限られていただろうけど。)書呆子の言う「お受験エリート」とは、そのアブナイ人たちのことなのだ。
 その「あぶない」人たちに過剰なことを要求するのは間違っていると思う。忘れる能力と思い出す能力のバランスがとれた人間を育てること。エリート教育の大切な要素のひとつがそれなのではないかな。

別件
 ウンコ大魔王・兼・ションベン小僧があんまり草を食べたがるので、クロレラを買ってきて毎食一粒ずつ食べさせている。おっかさんのピッピは見向きもしない。なんらかの効果が確認できたらまた報せます。
 ところが、ペット病院に行って、絶滅危惧種が犬用のウコン入りクロレラサプリメントがあるのを発見した。「かゆがるワンちゃんにどうぞ」とある。しかし、ペット用は値段が高いから、当分は人間用で我慢させましょう。