真は行き倒れの人間である・白川静・

GFsへ   2011/05/07

 今頃になって白川静『漢字百話』を読んだ。やたらと刺激的で、興奮しっ放しだった。ひとことで言うなら、もともとの漢字はヒエログリフだった、ということを徹底的に説明している。極端にいうと、それが単なる記号になったのが、現在の漢字。その現在の漢字にも古代の記憶が残って蠢いている、という話。昭和53年のものだから、ちょうど教員になったころになる。そのとき読んでいたら、たぶん、も少しちがった国語教員になっていたかもしれない。──「いまからでも遅くない」という叱咤の声が聞こえてきそうだが、やっぱり遅い。そんなものなんですよ。そのかわり、なんらかの一覧表を作りたくなった。もし、できたら報告します。Gの在職中に間に合うかな?
 いくつか代表例を示す。(筆者の説明自体が場所によってけっこう動いているが)あとは、すこし長くなるけど、序文ともっとも刺激的だったところをコピーして送ります。

代表例
 ・道は、異族の首で清められた行路である。
 ・導は、その首を手で掲げて進む形。
 ・真は、行き倒れになった人間の屍体である。
 ・口(くち)のもとは、祭物を載せる器。
 ・名は、祭式に際して犠牲の肉(夕)を祭器(口)にいれて供える  こと。そのとき、神にむかって名告るのである。
 ・ウかんむりは、単なる家ではなく廟堂を指す。
 ・字は、わが子を廟堂でしめし、一族の加入者として認めてもらう  こと。そのときに「あざな」が具わる。
  ※子は、主体となりうる人間のことで、女と対の文字ではない    か、なんてことを考えながら読んでいた。そうすると、安はも   ともとどんな意味だったのか? 「いづくんぞ」と疑問詞にも   使われるところをみると、主体となりえない存在なのだろう。

 ・我は、のこぎり。
 ・義は、犠牲の羊をのこぎりで切ること。
 ・文は、文身の文。
 ・人が生まれた時は、厂(ひたい)に文をほどこす。それが産であ  る。
 ・一人前の男になった時は、おなじく厂(ひたい)に文をほどこ   す。それが彦である。彡は文飾を表す。
 ・顔は、文身を加えたかおのことである。
 ・章は、辛(はり)によって皮下に色素を注入する入れ墨を表す。

 ・尹は、小枝を手に持った形で聖職者。
 ・君は、尹が祭器(口)をもって神託を求める形で巫。

 ・鳥は男の象徴であり、魚は女の象徴である。

 例を挙げだしたらきりがなくなる。「おもしれぇ」と思ったら買ってください。中公新書です。

別件
 NHKが北九州の合馬の筍採りを取材していた。お爺さんお婆さんの自宅にもどってきて、若いアナウンサーが「お疲れ様でした。」と挨拶するとお爺ちゃんが、「疲れたとはあんたの方やろ。ワシはもう疲れるほども働けんごとなった。」
 この国には、哲人詩人がそこらへんで暮らしている