夏のおわりに
あるくひと
何10年前になるのだろう
わたしの前では、甲子園で準優勝した高校の野球部が
ユニフォーム姿で千羽鶴を捧げようとしていた。
その光景の正面にある建造物の残骸は
わたしたちの文明の遺構にしか見えなかった。
ちょうどそれを保存するか取り壊すかでもめているときだったかもしれない。
そのままでは危険だからなのだという。
一瞬にして人びとが消えていった場所に残されたものを
一瞬にして破壊された街で生き延びた人びとが危険だという。
くずれおちるものの象徴はくずれるにまかせろ
保存論も取り壊し論も不健康に思えた。
その博物館で中学の教科書で知ったジャコメッティにであった。
それは教科書の写真よりももっと小さく、もっと細かった。
Life's but a walking shadow.
しかし
はがねをねじあげたように勁いジャコメッティの人は実体だった。
かれは移動しようとしていた。
どちらに行こうとしているのかを知っているようには感じなかったが
わたしの目の前に人間がいた。
その人はあるこうとしていた。
わたしたちがわたしを自分の占有物にしようとしたとき何が指のあいだからこぼれ落ちたのか。
わたしたちが家をかまえたことで触われなくなったものは何か。
まじわりを結ぶさなかに分からないふりをしていたことは何か。
わが子を抱きしめるよろこびとひきかえにわたしたちは何をさしだしたのか。
そもそもわたしたちはどうして陸にあがろうとしたのだろう。
そう
いつか語られねばならない。
わたしたちが魚類だったときのことを
2011/05/08