小子有造

GFsへ          2011/05/29
 まだ『臨済録』について考えている。
 めくっていると、何ごとかに出会い「大悟した」「頓悟した」と出てくる。その通りだったのだろうと思うし、その人が出会った「何ごとか」は、紹介したように実に面白いし、示唆的だ。が、こちらのいちばんの関心は、その「大悟」「頓悟」したあと、その人はどうしたのか。どいういう生き方をしたのかということなのだが、それについてはほとんど書かれていない。
 われわれれの、といつも通り、勝手に道連れをつくってしまうがのは、もはや癖だからお許しあれ。われわれの感覚では、大悟した人はその足でまたもとの生活にもどる。生活を再開したとたんに、それまでの修行期間のことは100%忘れる。でないと、「大悟」したことにはならない。100%忘れているのだから、回りの人はその人が「えらい人」だとは感じない。ごくごく普通の人なのだ。むしろ、ただの何も考えていない人間に見えるのかもしれない。だから、悟った人々の事跡は残ることがない。
 臨済録とはそういう世界なのだと思う。
 ところが登場人物たちを推測すると、どうもそういう成り行きにはなっていない気がする。99,9パーセントの僧侶たちは「大悟」「頓悟」したら、その世界でえらくなれると考えているらしい。あるいは、臨済がいらだっているのは、そういうことなのではないか。
 だとすると、臨済宗が日本に入ってきたことは、その教えにとって幸いなことだった。ここには、そういうことがしみこんでいく土壌がもともとある。(いま使った「そういうこと」をカタカナ語でいうなら「アウフヘーベン」なのだと思うよ)日本仏教とはそういうもののはずだ。
 少し話がずれるけど、仏教の輸入者たちは日本土着の神々を仏の権現だと説明することで吸収し、神仏混淆を成り立たせ、仏教をこの土壌に根付かせたつもりでいる。しかし、土着の人びとは、仏像に自分たちの神々の顕現をみて、ひれ伏したのだ。日本仏教とは仏像教のことだと思う。お説教は関係ない。
 明日香の岡本寺には、白毫寺にいく前か後に寄ってみよう。そのとき宿泊するのはサルサワの池の畔。晩飯を食いおわったあとには、眠り込んでてもたたき起こして池の周囲を逍遥する。そして寺は、白毫寺と岡寺・岡本寺、長谷寺のほかは、川原寺廃寺跡をはじめてとする旧跡ばかりとするのはどうだろう?
  
別件
 注文していた、木耳社の『古代文字墨場必携』が届いた。その中に短文集がある。
 毛公鼎銘 詩経・大雅
 小子有造
 小子なすこと有り
 と読んでいる。白川静なら「小子いたる有り」と読むかもしれない。気に入ったから、これを今回の題名といたします。