何言うたちゃ一緒

吉田氏のこと 2011/05/31

 数日前の新聞に「注水の中断はなかった!」という大見出しが躍っていた。もうみな知っていることだから詳細は省略。
 発電所の現場責任者とはどんな顔をした人物か知りたくて、わざわざ週刊誌を買ったのはいつだったか。そのことは前に書いた。
 東電本社なり、政府なりから注水中断の指示がでたので「はいはい」と返事して、注水はつづけていたのだという。なんとも腹の据わった男だし、そのことが現実の危機をすこしは遠ざけたのではないかと思う。えらい連中の言いなりになることは責任回避にしかならない。政府も原子力なんたらかんたら委員会も東電も、自分たちが虚仮扱いされていたことが分かって、以後どうふるまおうと考えているのだろう。もともと恥ずかしさを感じるセンサーに欠けている人たちのようだから何も考えていないかも知れない。
 それはいい。もうここまで来たら、総選挙になろうと、東電の株が紙切れになろうと知ったこっちゃない。
 今日、話したいことは別なことだ。
 何年かまえ(になるのかな?)、なにかをきっかけに福島出身でややこしい名前の自衛隊高官が辞職して大した人気者になった。そのとき、何だか恐くなった。
 その自衛隊高官はもう政府を信用していない。信用していないだけではなく、政府の言うことをきくのがバカバカしくなって、それを行動に移したのだ。それを小気味いいと感じている自分がいた。
 今回の吉田氏のしたことに対しても同じように感じている自分がいる。
 振り返ってみると、満州建国は、いや、それ以前の中国への軍事介入自体、現場の責任者たちが本国政府を無視するところから始まったのではないか。「バカバカしくて政治家なんか相手にしていられるか。」
 いま、この国はほんとうの危機にみまわれているのかもしれないのに、たぶん人びとは(自分を含めて)ただ成り行きにまかせている。「何いうたちゃいっしょ。」
 
別件
 家の改装のために出入りしている職人さんにはじめて会ったガロがしっぽを振って甘えた。人見知りするガロが初対面の人に甘えるのは、たしかこれでわずか3人目だ。そう話すと職人さんは、「気にいられてよかった。あたしらはよっぽど人柄がいいとでしょうな。」