文明のたどりつく先

              2011/06/04

GFsへ

 「学者たちは自分たちのしていることを高級なことだと思っている」という前回の続きです。
 たしか一年ほど前にも似たようなことをしゃべった記憶がある。いや、一年じゃきかないかもしれない。
 大学生時分のことだから、実際には50年以上まえ。「文学と実生活」というようなテーマがはやった時期があった。『ベトナムから遠く離れて』というフランス映画をみてズシンとこたえたこともある。その映画館は超満員で、初めから終わりまで立ったままで観た記憶があるから、似たような体験をしたのは自分だけでなかった。
 だけど考えてみれば、いやたぶん考えてみるまでもなく、そのテーマじたいが既になにかおかしい。文学者たちがおかしいと言っているのではない。自分自身がおかしかった。そうか、当時は、象牙の塔なんてことばもはやっていたな。学問の世界が現実から遊離しているということについて、学生たちが疑問をぶつけていもしたのだ。が、たぶん、その学生たちの主張もピントはずれだった。
 われわれの学問(といってもその範囲が広がりすぎてしまったが、一応ここでいう学問は西洋的学問ということにする)のなかで、実社会への貢献をめざしたものはもともとそんなにない。むしろ、神学から科学への流れのなかで生まれてきたものが大半なのだから、そのモチベーションは「現実から離れること」「現実から独立しよう」という情熱にあった。その科学が応用化されるのはまた別の段階だ。
 科学は、実験室やビーカーの中の、他の影響を排除した空間で成立する。初期の科学者たちが苦心したのはその「外部の影響を如何にして無視できる環境をつくるか」だった。学問的であろうとするとはそういうことだった。その科学の成果を現実で応用するには、外部から隔離された空間を作り出す必要があった。その応用装置はけっして外部という現実にさらしてはならなかった。のに、現実とふれあった水俣の化学装置は大きな災厄をもたらした。そして今回、現実とふれあいようがないはずの原子炉が外部と接触した。
 文系の学問もまた基本構造は同じだ。学問としての体裁を整えているうちに、いつの間にか隔離された場所でしか呼吸できなくなった。それが「学の独立」の意味だった。そして、現実とふれあった途端に化学反応が起こって内部的整合性を喪失してしまう。
 例によってやたらめったらにショートカットしていくが、われわれの文明はもともと野生からの独立をめざしている。その過程で幾多のまがまがしい人災を経験したとはいえ、大まかにいえば、野生を排除しようとしてきたこの文明は成功しつつある。成功しつつあるとは、そのぶん安心して暮らしていけるようになりつつある、という意味だ。が、われわれはまだ自分たち内部と外部の野生を制御することに成功したわけではないし、もし成功したらその時がこの文明の最大の危機なのではないかとも思う。それでも前に進むしかない。その前方にはたぶん、われわれの想定を超えた災厄が待ちかまえているにちがいないけれど。
 もう何10年前になるか、文化人類学をやっている日本女性の短い文章を読んだ。彼女はたしか、アフリカのどこかで家をつくるということを知らない人びとの隣で生活し、調査を終えて帰ってきた。帰りぎわに、協力してくれた女性たちに「持ち帰っても仕方ないから、もってきたものの中で欲しい物があったらなんでも置いていく」と問いかけた。じっさい、食料も医薬品もテントなどの生活用品も日本に持って帰ろうとすれば荷物にしかならなかったから。しかし、寡欲な彼女たちが「じゃ、置いていって」と頼んだのは生理ナプキンだけだった。「いつもはどうしているのか?」と聞くと、草を使っているという答えだった。ほんの少し前までの日本女性もまた同様だったはずだ。日本人学者はもちろん「日本に帰り着くまでに必要な分」を除いてすべて彼女たちにお礼として渡した。
 その人びとがまだ部族としての単位を残しているかどうかは知らない。学者の名前も部族名も場所も全部忘れた。
 ただ、もし、彼女たちの娘が生理用品を手に入れる生き方のほうを選らんでその場所を離れたとするならば、それは当然のことなのだ。文明とはそういうものだ。そうして人びとが群れるようになればなるほど、いったん災厄が起こればその規模が大きくなるのもまた当然のことにすぎない。

別件
 東日本の復興計画のひとつとして安ドウ忠雄が提案しているのを聞いて首を傾げた。「阪神・淡路のときと同様に、がれきを集めた場所に慰霊の空間をつくろう」という提案だった。
 ちょっと違う。それは都会人の発想だ。あるいは農耕的文化の発想だ。
 漁師の人びとの文化とは、何も残さない文化なのではないか。大災厄のあとは、リセットされてまた最初から(原初からと言いたいくらい)いっさいが始まり直す。
 自分にはそう思えてならない。