白川学入門(2)

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 昨日、たまたまNHKプレミアムをつけたら、自分がまるっきり勘違いをしていたのを知らされた。ダークマターの話です。
 ダークマターは、クオークやニュ-トリノよりはるかに軽くて、物質とも呼べないようなものだから、これまで発見されないのだとばかり思い込んでいた。しかし逆なのだという。水素原子の百倍以上の重さがないと勘定が合わないのだそうだ。
 もともとダークマターの存在を提唱したのは、銀河の回転スピードが早すぎることに気づいた女性科学者だった。そのスピードで回るには、銀河の中心部に巨大な重量を持つものがないと辻褄があわない。そのような例を宇宙から百以上見つけて、みなを納得させた。
 そういう話(番組名は「コズミック・フロント」?)だった。
 1年くらい前か、2年くらい前か、ダークマターというものの存在を知らされて興奮したのには幾つかの理由がある。
 ニュ-トリノの確保によって、宇宙の物質の起源が説明されるのかと思っていたのに、そうはならなかったことがそのひとつ。(これは、カミオカンデの実績じたいを自分が勘違いしていたのだとすぐに知らされた。昨日の番組に出てきた若い日本人科学者によると、ダークマターはオレが想像していたような物質の素材なのではなく、原子や素粒子がくっつくのに必要な介在の役割を果たしたのだという。)
 仏教でいう空との類似を感じたこと。(だから、ダークマターにはほとんど質量がないと思い込んだ。)
 3つめは、昔、なにかで知ったエーテルのことを思い出したからだ。
 この地球に宇宙から光が届くのは、光を伝える媒質が宇宙に満ち満ちているからだ。(媒体ということばを避けたのは、物質性や重量のイメージを避けたかったからです)。随分前にそう唱えた学者がいる。そのエーテルのイメージが好きだった。宇宙を光が通ってくるとき、エーテルが光に反応するのが見える気がした。それに、宇宙に満ちているエーテルの質感が水の質感と重なっていた。
 エーテルは否定された。しかし、その代わりが現れた。・・・そういう興奮だった。
 が、すべてが勘違いだったわけでもなさそうだ。
 日本の若い科学者は、ダークマターじたいは物質の構成要素ではないが、ダークマターがなければ、この宇宙に物質は生まれなかったという。すべてのものはただとび回るだけで、個になれない。つまり、物質生成と銀河の回転とには、同じ原理が働いていることになる。
 そこでいう引力と、仏教がいう縁とは、別々のものなのだろうか? 仏教は、すべては空だと物質性を否定する一方で、縁がすべての存在現象を起こすのだという。(たぶん。)つまり、宇宙からわれわれまで、すべての存在現象とは関係性のことなのだと(たぶん)説明する。
 宇宙創成期にその関係性の役割を果たし、現にわれわれの世界の秩序維持を成り立たせている見えない物質の存在を科学者たちは信じるようになった。その見えない物質は、宇宙全体の物質の75パーセントを占めている計算になるという。
 なんだか、もうひとつの白川学に出会った気がしている。
 最初に(1970年代)ダークマターの存在を提唱した女性科学者はもうおばあちゃんになっていた。
「私たちにすべてが理解できるという考えはつまらないと思います。自分にはこの世界のほんの少ししか分からない。でもまた、ほんのちょっとだけ自分たちの努力で理解できるようになったと感じるのは素敵なことだと思うのよ。」

別件
 母上さまの入院さわぎがあったのは何週間まえか。母上の顔を見て、「今回は大丈夫」と伝えたのだけれど、所沢の姉は帰ってきた。その姉とのおしゃべりが楽しかったのだろう。姉には「こんなことなら、ばあちゃんも呼べばよかったね」と言ったそうだ。そのばあちゃんはもう50年ほどまえに他界し、姉はもう、ばあちゃんの年齢に追いつきかけている。