尾瀬に行ってきた

GFsへ                2011/06/09

 三日間のパック旅行で尾瀬に行ってきた。晴天つづきでラッキーだった。さっきチビたちと感激のご対面をして、さっそく町内の散歩をし、もうお父さんの部屋でリラックスしている。2匹とも健康そうだ。
 6年ほど前、白馬に行ったときの経験から、今回の参加者はあれ以上の平均年齢だろうと予想していたら、ほんとうに50代以下はまったく見あたらなかった。絶滅危惧種の推定では、平均年齢68才。いい線だと思う。われわれより若そうなのは二人しかいなかった。
 総人数23名。カップル4組。家族らしき人たち1組。女同士の友人1組。他は単独。男は7名。女16名。たぶん今の日本社会の平均的バランスかな。
 尾瀬は雪解けが終わりかけている時期で、歩きにくいところは少なく、天候のお陰もあって計10時間以上のハイキングは快適だった。福島から入って群馬に抜けたのだが、自分ひとりならあと一日かけて往復できると思った。
 雪と新緑と青空のコントラスト。水芭蕉をはじめとする花々。(たくさん教えてくれたが、95%はもう忘れた)「ほーほけきょ」と「かっこー」と「とうきょうとっきょきょかきょく」が同時に聞こえてきた。尾瀬沼の広がり。燧岳と至仏山に挟まれた尾瀬が原の清々しさ。「また夏に企画してください」
 シンちゃんたちが、「檜枝岐にとまって燧ケ岳にのぼる」と言っていたのは35年前。自分はアルバイトの関係かなにかで行けなかったけど、あれは実行されたのかな?その檜枝岐温泉を通ったが、人影も見かけなかった。福島原発風評被害で、観光客がまったくいないのだそうだ。バスガイドさんによると、「この2〜3ヶ月、仕事が全然ありませんでした。わたしはともかく運転手さんたちは大変だったはずです。とにかく来てくださって有り難うございます。せいいっぱい頑張りますから、帰ったら安全だったと宣伝してください」パック旅行の企画も大半が人数不足でポシャって、やっと三回目だという。「一回めはまだ2メートルの雪。2回目は1メートルの雪のうえに土砂降り。あなた方はほんとうにラッキーです。」
 例年ならすし詰め状態のはずの尾瀬小屋も、風呂も食事も、寝るスペースも楽々。なんだか大名旅行にちかい。一枚だけ尾瀬ヶ原の写真を撮ったけど、広々としたなかに人影はたぶん数名しか写っていないと思う。
 一日目はもと舘岩地区、南会津のスキー客相手のリゾート・ホテルに泊まった。南相馬市からの避難者たちが生活していた。温泉つきの清潔な環境ではあるが、どんなことを考えているのか、出会っても寡黙だった。
 これからの課題もいくつか見つかった。
1,団体行動はもう2泊3日が限度。
2,食事はたぶん何が出ても味わう気にならない。今朝の自分でつくった味噌汁がいちばん旨かった。
3,男は尾瀬で立ち小便するはめに陥った。もうあきらめて泌尿器科にいくこととする。
4,女は最後ののぼりで完全に足がとまり時間内に到着できるかはらはらした。今朝になってみると、顔がすこしむくんでいる。も一度循環器科で精密検査を受ける必要がある。
 そんなわけで、上高地・カラ沢トレッキング企画は、とうぶん先になりそうです。

別件
 尾瀬小屋で隣の68才の人としばらく話した。
──息子が東京なんでけっこう大変でした。知り合いに頼んでミネラルウォーターを手に入れたまではよかったんですが、宅急便代のほうが高くつきました。
 若い頃はバイクに凝っていました。鈴鹿サーキットにもけっこう通いました。ただ、当時は体重が45㎏しかなくて、大きなバイクには乗れないし、ツーリングするにも軽すぎてコーナリングがうまくいかないんです。アイツとはそんなわけで一緒になりました。今はああしていますが、当時は40㎏でした。バイクの尻の重しにちょうど良かったんです。あちこちよく曲がりの危険なところを見つけては行きましたな。スリルのないことは、面白くなかったんです。
 ふたりの会話をきいていても、絶妙のコンビに感じた。いまは危険なことから引退し、福岡の市民農園を4カ所借りて農作業に凝っているという。
−−「どうせなら、おいしいものを作ってよ」と言うもんですからな。」