白川学入門(3)

2011/06/12

 夏の禹は人面魚身の藭だった。それが時代をくだるにつれて「手足がなかった」という伝説となった。さらに紀元前5世紀ごろには「自ら勤行して足がすり切れ」るまで治水に尽くした聖人となっていった。
 『中国の古代文学』前半で語られていることを要約すれば、こういうことになる。
 「古代中国人が藭を発見し、また失う過程」とはそういうことだった。
 その禹の治水伝説は『孟子』にもあるという。まるっきり覚えていない。(「騰文公」上)その引用を孫引きする。
 「堯の時に当たり、天下なほいまだ平らかならず。洪水横流し、天下に氾濫し、草木暢茂し、禽獣繁殖す。五穀みのらず、禽獣人にせまる。獣蹄鳥跡の道、中国に交はる。堯ひとりこれを憂へ、舜を挙げてあまねく治めしむ。舜、益をして火を掌らしめ、益、山沢を烈きてこれを焚き、禽獣逃匿す。」
 この後に禹の治績が語られるのだが、そこで一旦とまった。
 尾瀬に行く前だったか、文明がどうのこうのと大風呂敷をひろげたが、(大風呂敷じたいは若いころからの宿ア的病癖ですので、これからもご 勘弁)そのとき言いたかったことがそこにある。
 益は人びとの安全な暮らしを守るために「山沢を焚き」はらって「禽獣」を追い払った。禹は治水管理によって人びとの暮らしを成り立たせた。「文明」とはそういうものだったし、いまも基本はおなじだ。どちらかだけ、に絞ろうとすることは、いずれも自分たちの文明を滅ぼそうとすることにしかならない。
 ではなぜ禹の治績だけが強調され、益は忘れ去られてしまったのか。それは少なくとも、益のしたことは自然破壊で、禹のしたことが自然保護だったからではなかろう。(どの『荘子』を注文しようかとアマゾンのリストを眺めたとき、「最初の実存主義荘子」といううたい文句があるやつを先ずはずした。そういう読替えは虚構を増殖させるだけだ)
 白川静は「民は目を傷つけられた奴隷の形だ」という。
 益によって焼き殺された禽獣のなかには、人間とみなされていなかった異族も当然のこととして含まれる。そして生き残ったいわゆる中国人とは、その大半が滅ぼされた異族の末裔だったはずだ。
 
 いま、「すべてが人間とみなされる」時代が来ようとしている。(まだ、来ているとは思っていない)そのとき文明から追放されることになるのは何なのか。

別件
 加藤徹『貝と羊の中国人』によると、殷は農耕文化で周は遊牧文化だったという。無文字的だった周が殷を滅ぼし、その文化も自分たちのものとした。(そのとき脱出した殷人が大量にこの島にたどり着き、この島が目覚めた、という推測にはわくわくするものがある)
 ただし、甲骨文字に、すでに「義」があるのは、殷を農耕文化でかたづけるわけにはいかないものがある気がする。
 いや、殷の「義」を周は、まったく異なった「正義」の意味として用いたということなのかもしれない。白川静はそう考えていただろう。