万葉の歌

白川学入門(4) 2011.6.14

 「これらの挽歌にみえる鳥の発想は、明らかに鳥形霊の観念に連なるものであるが、それは祭祀の歌にみえる鳥と、もともと同質のものである。それで祭事には、鳥の声がその神聖感を示すものとして、霊のあらわれとも受け取られた。『万葉集』にみえる吉野へのしばしばの行幸が、祭事に関するものであることは、人麻呂(1・36)や赤人(6・923)、旅人(3・315)、金村(6・920)の長歌が、いずれもその山川の讃歌であることからも知られるが、それはたとえば「藤原の宮の御井(みゐ)の歌」(1・52)とおなじように、祭事に用いる水を、その滝つ河内に求める神事的な目的をもつものであった。その「川波の清き河内(かふち)」が、特に讃歌の中心となっているのである。その意味から言えば、赤人の歌の反歌二首に鳥の声を歌うことも、単なる自然諷詠とはしがたいであろう。
  み吉野の象山の際の木末にはここだもさわく鳥の声かも
  ぬば玉の夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
 夜の鳥の声が歌われているのは、おそらく水取りの神事が行われているからであろう。その長歌は「春べは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやますますに この川の 絶ゆることなく」というような観念的な歌い方がされており、要するにその山河の儀礼的な讃歌にすぎない。その反歌であるこの二首のみを、長歌と切りはなして、その静寂な自然への観照の歌とみることは、できないであろう。このような神事は、むしろ現実を超えた一種の象徴性をもつ表現をとるものである。」
      『中国の古代文学(一)第3章』(中公文庫105p〜106p)

 白川静の「万葉論」も、いつか読むときがくる。が、その前に、少しずつ紹介することになるだろう。
 今日はあと一カ所のみ。(ただし、書き下し文のほうは空白になる文字がありそうだ。そのときは下の日本語訳から想像してください。)

「  螽斯の羽 ??(しんしん)たり 宜なり爾の子孫 振振たり
   螽斯の羽 薨薨(くわうくわう)たり 宜なり爾の子孫 縄縄たり
   螽斯の羽 輯輯(しふしふ)たり 宜なり爾の子孫 蟄蟄(ちつちつ)   たり
 子孫の繁盛を寿ぐ歌であることはいうまでもない。田園的な発想をもつものであるから、村落をめぐるほかい人の歌った歌で、新室やその他の歌もあったであろう。海音寺潮五郎氏の近訳は、ことに面白くできている。
はたおり はたおり はたおり はたおり はたおり はたおり・・・
わいら うじゃうじゃゐるなあ さうぢゃてなあ
わいら いっぺんに 九十九匹も子を生むんぢゃてなあ
ほう! みんな 仲ようしとるわ!
このやうに 当家のみ子孫(すゑ)もさかえるやうに   
            海音寺潮五郎詩経』(講談社1974) 」

別件
 Fがこんなことを言ってきた。
「 『裸の島』を見た。見ながら、桶の水をこぼすだろうなと思っていたら、こぼしてしまうシーンがあった。病気になったら親はどうするんだと思っていたら、子どもが死んだ。きっと母親はやけを起こすぞと思っていたら、桶をひっくり返して、サツマイモの苗を引き抜きはじめた。
 「みんな知っている」それが全体の印象。身体のなかに、たぶん記憶ではなく、身体の手触りや鼻の奥に残る土の匂いや、陽光の痛さの感覚として。逆に言えば、二度と触れることのかなわぬ、生活(いや生存と行ったほうが近い)の実感として。
 もし、50年前のわが故郷を写したフィルムがあるとしたら、乙羽信子ほどすっきりした女性はいないかもしれないが、『裸の島』と似た美しさが残っていたかもしれない。・・・
 思い出とつながるので美しいと思ったわけではない。今、思ってみれば、あの生活が”美しい”と呼んでいいものだったのだと思う。 」