ピッピが怒った

GFsへ         2011/06/16

 尾瀬からもどってきてから、というか、ペットホテルから家にもどってきてから2〜3日、ガロが大変だった。あちこち家の中でおしっこをしまくる。たぶん分からなくなっていたのだ。その度にお母さんが「ギャア!!」。
 さいわい3日めの夜だったか、2階で机についていると、上がってきて「ウウ、ウウ、」と足元でいう。「外に行くか?」と声をかけたら、自分から階段のほうにトコトコいく。その夜中には、これまで通り、新聞紙の上におしっことウンコをきちんとしていた。月曜日には、寝室で映画をみているとドア越しに吠えるから出ていって「下に行くか?」「ウウ」満足そうな声を出して、自分が先導して下りていく。
 そんな大騒動の最中、玄関にいたとき、お母さんの凄まじい「ギャア!!」が居間から聞こえてきた。ガロは「ボク知らん。」とそっぽを向いてくるくるそこらへんを回っている。ピッピはあわてて靴箱の下に潜り込む。子どもの頃から、お母さんに叱られたらそこに潜り込む。お母さんが引きずりだそうとすると口をあけて「来るな。来たら噛むぞ」とデモンストレーションをおこなう。実際にたしか2回ほど、強引に引きずり出そうとしたお母さんは噛まれたはずだ。が、今回はピッピに罪はない。「ピッピ、大丈夫。」と声をかけると、ほっとしてシェルターから出てきた。「すげぇ、日本語の意味を正確に理解している。」
 「ダイジョウブ」は、散歩のときの用語のひとつで、向こうから知らない人が来ていると、慎重な性格のピッピの足がピタッと止まって、お父さんの顔を見上げる。「ピッピ大丈夫。」というとまた歩きだす。なので、どういう意味に理解しているのかは分からなかったけど、意味を100%理解していたことになる。「ピッピは賢いね。」
 そのピッピが散歩に行く前、猛烈に怒った。近くにいたガロのほうから首輪をつけようとしたときだ。怒ってガロに仕掛けようとする。慌てて、「ごめん。ピッピが先」それですべてが収まった。お父さんがいちばんえらい。二番目は自分なのだ。だから何事でもガロより先でなくてはいけない。そのかわりガロの面倒はピッピがみる。ガロが育ち盛りのときは、自分の分を食べ残して、それを息子に食べさせていた。いまでも時々ガロの耳のお掃除をしてやっている。「お留守番」と言われたのにガロが出ていこうとすると、羽交い締めにして出さない。お陰でこのごろでは、ガロも「お留守番」を覚えた。いっぽう病気持ちのガロが月に一回通院するときは、「ピッピは留守番」と言いさえすれば、文句も言わずに留守番係を引き受ける。家を守るのが自分の仕事と信じているのだと思う。
 お母さんとチビたちの関係はまた少しずれる。(「アタシのこと飯炊きおばさんと思うとっちゃないと?」)しかし、やっぱりいちばん偉いのがお母さんで、ピッピが二番目。お母さんはまずピッピを叱る。叱られたピッピはガロを叱る。ピッピから叱られたガロは、座布団でもなんでもそばにあるものを噛んでブリブリ、バタバタ振り回してウップンばらしをする。「そろそろガロの子分を見つけてこようか?」
 どうやらまた、我が家に平和がもどってきたようだ。

別件
 クリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』を見た。何ヶ月か前、渡辺謙の「硫黄島・・」を見て、なんだかしっくり来なかったので、気になっていた。
 日本映画のほうは、なんだかピントが定まっていなかった。それに、渡辺謙の司令官は妙にステレオタイプ化された軍人、いや武士で、不自然すぎた。本人がああ演じたかったのか、そう要求されたのかは知らない。が、ほんの最近を生きていた人で、その写真も文章も絵も残っているのだから、まるっきり違う人格にしてしまうのでは歴史を描くことにはならないだろう。自分の場合、あの××中将の人格は、自然に生々しく浮かんでくる。台本じたいも類型化された中身で、そのままチャンバラ映画にでも使えそうな気がした。
 クリント・イーストウッドのほうは、ピントが合いすぎていて、なにか息苦しかった。そうか、白黒映画的だったのな。映画館では2本一緒に上映されたのかな。だったらまた違った印象を受けたかもしれない。
 そういえば、スピルバーグの『パシフィック』もそろそろスカパー!で放映されるだろう。