小学校時代にもどった

 小学校時代にもどった6時間。   2011/06/17
 小中学校の同級生に会った。高校も一緒だったのだけれど、口をきいた記憶がない。それでも年賀状のやりとりだけは40数年つづいていて、「○○からアドレスを教えてもらった。こんど帰るけど会わないか。次に帰るのはいつになるか分からないから」と言ってきた。もう神奈川県に2世代住宅を建て直したのだという。
 飯塚駅で会って以後、ほぼ6時間。しゃべりつづけだった。何を話したのかはよく覚えていないが、とにかく話のとぎれるときがなかった。途中から共通の女友だちが加わり、帰り道でまた同級生に出会い、、、。「お互い、よくここまで生き延びた。」町の基幹産業がつぶれてバラバラになってからも、なんとか連絡をとりあってきた。もとラガーマンの言葉はそのままこちらの実感だった。2年後は沖縄集合にするからというので再会を約束して分かれた。今度こそぜひ参加しよう。
 帰り道で出会った女の子(もちろん62か63なんだが、話しているうちにすぐ小学生同士みたいな話し方になっていた)に言わせると、「あんたは、あのころはとても早熟やったから話が合わんやった。」でもいまは自然に話せるという。長生きした甲斐があった。母校の図書館司書をやっていたのだそうで、「あんたの白い本も、少しだけやけどめくってみたよ。」ずいぶんスマートな女の子だったのだが、いま並んでみるとほとんど変わりがない。162センチだという。たぶん幼いころは、お互いに、相手と自分とのちがいに、やたらと敏感だったのだろう。
 その時の情報で、中学のとき山歩きの楽しさを教えてくれた先生がいまも城島で元気にしているという。あるときは道に迷って夜中にやっと帰り着き、校長から大目玉をくらったという人だ。こっちはくたびれはしたけれど、「せっかくだから」と遊園地で遊ばせてくれたりして大満足だったので、気の毒だった。
 「こどもは親や教師の知らないところで育つものだと思います。でも、そのときどんな大人に出会ったかによって育ちかたは変わる気がします」
 自分の育った町は、その出会うべき大人の密度が濃かったように思う。その偶然に感謝。
 今日は、高校学年会のホタル観賞会。内野というもと宿場町で一番古い家に集合するのだという。会いたい男がいる。現れるかな。

別件
 町内では、小学生たちがドッヂボールに燃えている。高学年のお兄ちゃんやお母さん、おじちゃんたちも混じって、「この団地にはこんなに子どもがいるのか」と思うほどに大集合している。いつもなら、「ピッピ!」と言って駆け寄ってくるよっちゃんも練習に集中。こんど地区対抗戦があるのだそうだ。
──みんな楽しそうですね。
──いえ、練習が終わっても帰ってこないんです。
 それで分かった。玄関でよっちゃんが、びーびー泣きわめいていたことがある。家の中からお母さんの大きな声が聞こえてきた。
──約束を守らない人はダメです!