熊楠曼荼羅

GFsへ                2011/06/19

 いつだったか、「白川静を読んでいると、南方熊楠を思い出す」などとゴタイソウなことを言ったのに気が引けて、総合図書館に行ったとき彼の書簡集を借りてきた。
 イギリスで栂尾高山寺の住職と出会い、いご昵懇にしていたのだが、最近になってその書簡が寺で発見された。それを藤原書店が整理して刊行した。南方熊楠26才から36才ごろまでの書簡である。
 よほど心を許し合えたのだろう、中身は宗教・哲学から都々逸まで、ありとあらゆるテーマが並ぶ。しかもその分量の多いこと。一体これを書くのにどれくらいの時間がかかったんだ、と感じるが、たぶんコンピューターなみのスピードで書いた。その内容をみると(全体をめくっただけなのですが)、博覧強記などという表現では追いつかない。スーパーコンピューターのように知識を吸収し、それをすべて記憶していたのじゃないかな。一日の睡眠時間は何時間くらいだったのだろう。ただし、お酒が大好きだったらしいから、いい人生だったにはちがいない。
 高山寺住職に告白しているかれ自身の希望と思考をまとめると、「生命と体」「精神と物質」「霊魂の不滅」などを一括する理を求めていたように思う。それらがすべて別々のものではないことを証明したかったのだ。その説明を読んでいると、「エネルギー不変の法則」を思い出す。けっして論理的ではない。
 高山寺の住職、土宜法龍(たぶん10才ほど年長)は返信で、「おまえの説明は比喩ばかりだ」と言ったらしい。(その比喩がやたらに面白い。一例を挙げる。「西洋かぶれの耶蘇教徒たちは仏教を腐敗せりという。しかし、酒盗にせよ狎れ寿司にせよ、腐れ乍ら味のあるものなり。中には、生なるものよりは腐って後に味あるもの多し」)それに対して論理なるものを徹底的にけちょんけちょんに言う。
 デカルト的論理には「自分」が含まれていない。「自分」が含まれていない理屈や世界観はインチキである。
 耶蘇教もインチキ。(いぜん、キリスト教新興宗教だといったことがあるが、いわばその先輩でした)。釈迦もインチキ。・・・釈迦は88才まで馬齢をはんだうえに、豚肉を食ったのが当たって腹をこわして死んだ、ただのじじいだ、ということになる。
 では、理はどこにあるのか。それが真言だと、科学者(本人は化学者と自称している)の南方熊楠高山寺住職に言う。真言とは論理ではなく、ひとつの意味なのでもなく、いわば曼荼羅そのものなのだ。
 論理は線、曼荼羅は面。耶蘇教を認めない熊楠は、ユダヤ教はホンモノ視する。で、それを説明するために「ユダヤ教曼荼羅」まで描いている。(ぜんぜん理解できないけど)
 かれの粘菌研究は、その「植物と動物」の中間、というか、どちらともいえない摩訶不思議な性質のなかに、さらに「生命と物質」にまで展開する曼荼羅を見ていたのではないか。それがこの世界、というより、宇宙の理を説明する基になる可能性を感じていたのだ。(ごめん。ただ、めくっただけで、またもや大言壮語をいたします)
 「この一ヶ月をスッポンポンで過ごした」というとき、かれは、自分自身を粘菌の同類のように思っていたのだろう。
 その南方熊楠は同時に、明治政府の神社合祀政策に猛然と反対する。かれにとって、科学と宗教と哲学は別々のことではなかったのだ。
 土宜法龍への書簡のごく初期のもの(明治26年)に、かれは徳川家康の言葉を引用している。(別件的になるが、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ、徳川家康にしろ、いずれも大天才だったのだ。それをフツウの人間として描く時代劇にはバカバカしさしか感じない。例外は長門裕之の弟が演じた織田信長。これには狂気が垣間見えた。)
「大上は徳を立て、その次は功を立て、止むを得ずんば言を述べて後生を期す。」・・・・小生のごときは止むを得ざるものなるべく、従って、徳を立て、功を立てることはならぬと存候。この上は何卒して言だけにても残し度と存候。
 あと一カ所、うろ覚えの部分を引用して、この人からはまた遠ざかる。まともに読もうとしたら、自分が粘菌にされてしまいそうだ。(なれ鮨にならなってみたい気もするけれど)
 「徳川期、仏教は儒学の肥やしになった。儒学国学の肥やしになった。国学は御維新の肥やしになった。すべて、無駄なものなどはあるものではない。」

別件
 絶滅危惧種がメモ紙を渡した。
──どね? どね?
 「まずまず」というと、嬉しそうにして、
──これ、やる。
 もらっちゃったから、ここに残すことにします。
   若者ら笑い集える尾瀬の宿われも来し道旧き友あり
 尾瀬小屋で風呂にはいったとき、小さな脱衣場で若者たちがギャーギャーはしゃぎまくっていた。
──学生さん?
──いえ、いい歳した大人です。
 それの返事だけでまた大笑いをする。シンちゃんたちと遊びにいっていたころの自分たちもこんなだったのだろうなと思った。