本日、夏休み気分

2011/06/23
 本日晴天。空気はさわやかでもう夏休み気分だ。昨日は蒸し風呂のなかにいるような一日だったのに、変化が激しすぎる。散歩の途中、木陰にはいるたびにチビたちが「休憩」。なんとも幸せそうだった。チビたちが幸せそうだと、こっちまで幸せになる。
 日曜日の新聞だったかに、国の××防災委員会が、「有史以来の津波に耐えうる防災をするように」と答申したという記事が載っていた。座長はたしか関西学院大の河田某。こいつの名前はちゃんと覚えておこう。これだけ情報が氾濫しているときは、そいつの話はまともに聞かないという相手をできるだけふやしておく方がいい。
 上のような答申なら、小学校の学級会ででもできる。だいたい、ずっと前から、何かあるたびに「万全の対策をするように」部下に指示をだす輩が多すぎる。できっこない指示を出された部下は、「はい。はい。」とだけ言って終わらせる。まだ、同じことを繰り返したいらしい。
 もちろん、100年後か、500年後か、1000年後には、50メートルを越える大津波が確実に来るだろう。が、それに対応できる「万全」な防災対策をとろうとするなら、50メートルより低いところには人間を行かせないようにするか、50メートル以上の防波堤を築くしかない。その光景を想像しただけで、そんな未来都市に住むくらいなら皆と一緒に死にたいと思うのは絶対にオレだけじゃない。
 風力発電太陽光発電が、原子力発電よりいいという気にどうにもなれない理由も似たところにある。この狭い国土に数千万キロワット分の風車や太陽光発電パネルが設置されている風景を思い描いただけで、そんな所からは逃げ出したくなる。(すでに久住とその周辺には気休め程度の風車が回っている。が、目に入れないようにしている。それくらい周りの景観とは違和感がある。)もともと人が住んでいないところといったら、箱庭のような自然しかないこの国土では、屋根にとりつける程度の規模でしかできまい。それに、どこかの国とはちがって、ただの土地なんかないから設置費用がペイできるとは思えないし。
 大抵のものごとはそうなのだが、あれか、これか、ではない。白か黒かでもない。むしろ半端さのなかの、どの程度の半端さを選ぶかが大事なのだ。(原発の場合は、あまりにも安直な半端さだったのに呆れたが)
 大切なのは国が一括して指導することじゃない。その場所で暮らしていく人びとに選択権を与えることだ。そうすれば、自分たち自身の問題として、知恵はいくらでも出てくる。
 この国は、人間が自分たちの手で農地や宅地を増やしてきた。それがそのまま今は「自然」と呼ばれているだけだ。里山と呼ばれるものも、あれは人間がつくったものだ。海辺のあの美しい風景だってそうだ。
 復興にはスピードが大事だという意見の人も多い。しかし、防災と暮らしと自然をどう調和させるのか、もっと腹をわった話し合いの時間が必要だと思う。
 
 火曜日の新聞には、富士通スパコンが世界一を奪還したという記事が載っていた。例の「世界一じゃなきゃダメなんですか?」のレンホウのコメントが載っている。「前の発言は、文脈を無視してそこだけが取り上げられていた。」──ウソでぇす。あんたにはもともとワンフレーズ以上のことを言う能力がないんでぇす。──で、今回は「世界一ではなく、オンリーワンを目指してほしい。」と言ったと言う。
 スパコンの世界でオンリーワンを目指すということは、ヒットラー並みの発想だとは毛ほどにも気づいていないわけね。政治家の言語能力はついにそこまで地に墜ちてしまったのね。いや、自分を政治家だとも思っていない。ただ演じている。

別件
 チビたちを散歩させていたら、近くの病院の脇から、「ほら、わんちゃんですよ。」という声が聞こえてきた。驚いて見上げていると、その病院が増築していたのは託児所だとわかった。病院の職員たちは、この施設があれば安心して働くことができる。いままでテレビで見たことはあったが、ほんものは初めてだった。
 中学校の同級生のチエちゃんが就職していった名古屋の工場は定時制高校をいくつかの工場と共同で設立していて、働きながら卒業資格もとれるということだった。
 この国は、民間が先取りしたことに、官が追従する形で進んでいるかのような印象がある。
 個人に現なまを手渡すのも悪くはないが、お母さん達が働きに出やすいように工夫することのほうが先ではないかという気がする。