40才のチャレンジャー

   2011/06/23

 録画していた伊達公子とビーナス・ウィリアム戦をみた。あんまり凄かったので報告。
 結果はもう新聞で知っていた。のに、最後まで見てしまった。「テニスちゃこげんスポーツやったとやなぁ」と改めて教えられた気がする。・・・(これでも、一年間だけだったけど、硬式テニス部の顧問だったのです。そのころ、ベテランの先生にしごいてもらったことがある。あとで思い出したら、動いていたのは自分だけで、あの先生はほとんどじっとしていたような気がする。なんでそうなるのかが分からないうちに、バスケット部に代わった。バスケットにいたってはルールが飲み込めないうちにまた何かに代わった。)
 もしまだ現役だったら、「テニス部員全員にあの試合を見せろ」と言うにちがいない。それほど技術と判断力と決断力を尽くした名勝負だった。
 それに、試合中の伊達の顔がじつによかった。日本の女はこんなに深くて豊かな表情をもっているのかと、それだけで2〜3時間が過ぎていった。その表情をひとことで言うなら、少年の顔なんだと思う。阿修羅像がまだ未成熟の少年の顔であるように。・・・(思い出した。去年の奈良旅行の時、誰かが言っていた。「阿修羅像が何度も火災をくぐり抜けて現存しているのは、いつの時代にも、自分の命にかえても守るという坊主がいたからだ」)・・・それに体の動きもまた少年そのものだった。40才だなんて信じられない。対戦相手のビーナスも観客もおなじ思いだっただろう。
 試合は接戦のすえ負けたけど、勝つチャンスはあった。何本か選択を間違えなければ勝てた可能性がのこる。ということは、伊達の挑戦はまだまだ続きそうだ。
 ビーナスもいつのまにかずいぶん美しくなっていた。その表情や仕草には優雅ささえ感じられた。やっと怪我から復帰したばかりということだったが、きっといい時間を過ごしているのだろう。
 人間国宝第1号が福島千里。第2号が伊達公子だな。
 アナウンサーの造語、40才のチャレンジャー、を今回の題名とさせていただきます。
 伊達の試合が終わったあとに、土居美咲という選手が出てきた。名前も知らない選手が予選から勝ち上がって、一回戦で世界ランク30何位かの選手を破った。サウスポーでサーブに切れがある。サーブが武器になる日本女子選手って
いままでいたかな? すごく面白い素材だ。まだ20才。伸びしろは相当にある。これからしばらくは楽しめそう。
 伊達が引退した頃、何人か世界で頑張っている女子選手がいた。沢松和子の姪は沢松ナオコといったのではなかったろうか。彼女の言うことが面白かった(勝ったとき、「最後のポイントのときは、エッフェル塔のてっぺんに立っている気分だった。」 まけたとき、「今日は、相手のほうが勝ちたかったみたい」)ので、そのうち解説に出てくるのだろうと楽しみにしていたが見かけない。子育てに専念しているのかな。
 ある試合のとき、線審の判定にクレームをつけたがそのままだった。まだ、チャレンジとかなかった時代だ。そのあと、サーブを打つ前に何度かボールをぽんぽんとやりながら「ちゃんと見てよね、おっちゃん」という関西風の日本語が集音マイクを通してはっきり聞こえてきた。──あたらしい日本人が現れたぞ。──じつに愉快だった。

追伸 2011/06/24
 昨夜、土居美咲の2回戦を最後まで見てしまった。6−3、6−1。格上を相手に完勝だった。格上相手と書いたが、来年は互角か格下になっているかもしれない。身体能力の高さもだが、知能指数が思いっきり高そうに感じた。森田とはそこが違う。3回戦はたしか、全仏で優勝した中国人が相手になるが、勝負をはじめるまでは誰が相手でも五分五分だ。今年は毎日録画をすることになりそう。
 土居の試合が早く終わったので、そのあと、錦織を破ったヒューイットと世界ランク5位という選手の試合がはじまった。始まってびっくり。カメラの角度のちがいもあるのだろうが、テニスコートが卓球のテーブルくらいに感じられた。男子のテニスは、もはや女子テニスとは異次元のスポーツらしい。
 
別件
 白川静『初期万葉集』を読みはじめた。まだ75頁ほど。
 序論が30頁。「巻頭の歌」が35頁。
 「巻頭の歌」は雄略天皇の「籠よ み籠もち 掘串もよ み掘串もち この岳に 菜摘ます児 家聞かな 告らさね ・・・」についての話。
 結論は「神事としての若菜摘みの歌にあとで相聞的要素が付け加わって現在残っているような形になった」ということなのだが、それを様々な傍証で証明しようとするうちに、それだけで35頁かかったという趣。物的証拠なしに立証するには、状況証拠を積み重ねていくことしかできないのだが、その徹底ぶりはちょっと異常なくらいだ。が、読み終えると、「たぶん、そうだろうなぁ」と納得してしまう。ので、読んでいて、ぜんぜん楽ではありませんでした。
 状況証拠のひとつに、古代中国では若菜摘みは遠くにいる人への魂振りだったという。その記憶は日本でも、蕪村の「君あしたに去りぬゆふべのこころ千々に 何ぞはるかなる ・・・」にいたるまで受け継がれていると。「早蕨採りや和布刈りがどうして食料補給のための行事であろうか。」

その中の脱線気味の一節。
──「興」は、酒器を逆さにして(=同)地霊に酒をふりそそぐ形である。