歌謡曲雑感

2011/06/27
 台風はかすめていった程度。ただ、今日もその影響なのか、梅雨空がもどってきた。どよんとしている。ただし、気温がさがってすごしやすくていい。
 先週だか先々週だかNHKで、美空ひばり○○忌特集という番組をやっていた。音はうるさいので画面だけを飯を食いながら何となくみていたらキム・ヨンジャがでてきたので、チャンネル切り替え。あのひとはソウル・オリンピックのパルパルの歌が最高だった。顔をしかめて日本人の真似を始めてからは見たくない。(60になったころには似合ってくるかもしれないけれど、こっちがね。)
 もともと、美空ひばりが大の苦手。理由はよく分からない。ガロがクロネコヤマトを目の敵にしている理由を訊いても無駄なのと同じで、生理的にだめ。五木ひろしも同じく見たくない。あえて共通点を見つけるなら、ふたりとも声自体が暗いこと。(だから、美空ひばりの「塩谷の岬」は絶唱だと思う)あとひとつは日本人的でないこと。いやぁ、ひょっとしたら、あの人たちのほうが日本人的で、こっちの方があぶれているのかもしれないけど。とにかくふたりとも気持ちが悪いから仕方がない。
 その翌日か翌々日か、こんどは松任谷由実が被災地支援の何かをやっていた。このひとがまた、荒井由美の時代から苦手だ。
 東京に出てすぐ、いわゆる東京的人間が嫌いになった。自分は労働者の町で育ったから、生きてゆくことは体を張ることだと思いこんでいる。(今もそうだ)だけど、東京的人間にとっては、体を張るなんて、「ダサイ」「オモイ」「バカみたい」。いまでは福岡の若者もそうなりつつある。荒井由美の歌はその東京的生き方の典型に聞こえる。前、絵画について書いたときの言葉を再度使うなら、松任谷由実の歌にはへその緒がついていない。まるでキューピーさんのおなかのような歌だ。つるっとしている。肌触りがない。だから、「別にあんたから青春だの人生だのを教えてもらわなくってもいいよ」という気になる。
 そうか、美空ひばりは、どんなに豪華に歌ってもへその緒が見え隠れした。松任谷由実が青春だの生き方だのを歌っても、臍がないから人工物にしか聞こえない。どっちも「オレには関係ない」ということかな。
 でも、その歌を歓迎する人たちがたくさんいるわけだから、その人たちの生き方もまた、臍の緒をひきずったり、臍がない生き方なのだろうと勝手に想像している。
 NHK・BSの「アメイジング・ボイス」がまだ続いていた。先日はフラメンコ。・・・聞いているうちに、sから40年ほど前に教えられたソンコ・マージュを思い出した。外国生まれの歌を歌っていたのに、ちゃんとへそがあった。だから時々帰りたくなる。まだ元気なのかなあ。どこかにテープがあるはずだ。・・・実は、定年間際のころ、急に聞きたくなって探し出した。(それをまた何処にしまい込んだかがわからない)あのころ聞いていたのはカルメンマキ&オッズ、そしてソンコマージュ。不思議と浅川マキはいまの自分とはズレを感じた。
 その「アメイジング・ボイス」のなかの即興だというフラメンコの歌詞が気に入った。
 「蠍の毒よりも、女の嫉妬の方が危険だ。蠍の毒は人を壊すが、女の嫉妬は世界を壊す。」
 いいですねぇ。たぶん、スペインではみんなが知っていることばなんだろう。
 番組の最後に、これまで放送された歌の人気投票の集計結果を発表する。一位がフランスのザーズだったので満足。「なんだ、オレはポピュラーなんじゃないか」(あの番組を聞いている人のなかではね)ただし、CDを買いたいとは思わない。モンマルトルの路上で歌うときの彼女には生きている喜びがあふれていた。「舞台なんかやめてしまえ!」もし、もし、フランスにいく機会があるなら、○○大聖堂よりも××美術館よりも、そっと出かけていって、彼女の歌っている姿を見てみたい。・・・投票した人たちはみな同じことを感じているはずだ。