比ガ里荘だより

                  2011/07/01
 2ヶ月ぶりに山小屋に行ってきた。ただし、急用ができて一泊したらすぐにUターン。
 6月末の平野台は、6月初の尾瀬とよく似ていた。
 カッコウ、鶯、ホトトギスコジュケイ、その他の鳴き声。ただし、同じ方角から複数の鳴き声が聞こえたりしていたから、百舌鳥が、ひさしぶりに来た我々に、大サービスをしていたのかも知れない。
 野にはまだ、食べられそうな蕨をちらほら見かける。その一方で、もう一息でアザミが最盛期になりそう。
 もう終わりがけだったけど、庭のヒメシャラの花をはじめて見た。
 が、本日は、オーナー(昭和5年生まれ。宮崎県出身)の一代記がめっぽう面白かったので、聞き書き風に紹介します。実は、挨拶にいく度に、いろんな話を聞かせてくれる。その話は、前回とだぶることがほとんどない。ほんとうに頭のいい人なんだと思う。で、昨日の話の途中に前回や前々回の分も入り込むことになる。

 あたいは、その地域で一軒だけの小作農の家に生まれた。貧しかったですなあ。学校は高等小学校までです。けど、体はこんまかったけんどが、運動が得意でしてな。剣道の教師は退役軍人ですたい。この男が、あたいに目をつけてですな。まあ、ようしごかれました。あと二人、ものになりそうじゃと思うたんでっしょ、徹底的に鍛えられました。おかげで、剣道は二段ですたい。はい。
 そんなわけで、同級生では、あたいにかなうもんはおりゃせん。そしたらですな、複数でかかってくるとですばい。それも2人や3人じゃのうて、5〜6人でいっぺんにかかってくるとですたい。前から横から、後ろから。・・・なんちゅう情けない男たちやろかと思いましたばってん、それくらいでへこたれやしません。・・・今はあいつらに感謝しとります。お陰で、少々の目にあっても、屁とも思わんようになりましたもん。
 戦後は共産党に入りました。後から知ったとですが、フワテツゾウちゅうとがおったでしょうが、あの男の一ヶ月あとに入党しとります。会うたことはございませんですがな。よう勉強しましたな。面白かった。ですけんどが、2年でやめました。あの人たちのいかんところはですな、なんか起こるたびに、「そんなことはオレたちがずっと前に言うとった」て言いたがることですな。
 あたいが一生懸命勉強しよるとですな、町の有力者どんが、「とんでもないとが出てきた、なんやらかすか分からん」て考えたとでっしょ、八代(やっちろ)に行かせられました。農業の神さまちゅう評判じゃった××の所です。ところがこの男は右翼の大親分ですたい。共産党から右翼ですばい。よう働かされた。涙落としながら地面をはいずりまわりました。時には夜中の2時すぎまで働きました。
 そのうち、世の中は、池田勇人所得倍増計画ですたい。「勝負するなら今じゃ」思うてですな。資本主義の世界に飛びこみました。製材所をやることにしました。景気がようなったらみな家を建てようとする。そしたら材木が必要になると考えたとです。いえ、元手やらありまっせん。資産もなんもない者に銀行が貸してくれるわけもありまっせん。思いついたとが、あたいを八代に追い払った町の有力者どんですたい。ひとりひとりにかけ合うてですな。こちらから20万、あちらから30万と借りました。この男はものになるかもしれんと思うてくれたとでっしょうかな、5〜6人が貸してくれました。それで熊本市内に広い土地を借りてですな、製材所をはじめました。
 借りた金はかならず期限の3日前に利子をつけて返すて自分で決めてですな、違えたことはいっぺんもありまっせん。ある時はですな。土砂降りですたい。どうしょうかなて思うたけんどが、ここが心意気の見せ所と思うてですな。単車で宮崎まで行きました。はい、熊本からです。着いたら夜中の2時でした。先方は驚いてですな、「なんごとじゃ?」言うもんやき、「自分で決めたことは実行せにゃ収まらん性分じゃき」ちゅうてですな、信用を作って行きました。
 そりゃ、儲かってばかりじゃないですたい。そんな時はですな。あっちからまた借りて、それで前の借金を返すとですたい。返すときは、利子のほかに菓子折ひとつでもつけてですな。
 富山の薬売りで産をなした男がおりました。この男のところにも3日前に戻しに行きました。するとですな。「3日前に返しにきたとなら、3日分の利子は余計じゃ」ちゅうてですな、戻してくれました。なるほど、信用はこういうふうにしてかちとるもんかて、いい勉強になりました。ある時は、急に金が必要になったけんどが、こっちの体が空かん。「女房にハンコもたせていくが、20万都合をつけてくれんだろか」て、電話したことがあります。いえ、ウチはまだ電話もなかったころです。「そりゃ、借用書さえあるなら貸す。嫁さんが金を失せたら、ただそっちの責任じゃから」ちゅうてですな。こいつも今はこうしていますが、ほんとうにしっかり者でした。
 そうこうする内に、田中角栄日本列島改造論ですたい。儲けましたな。はいぃ。山林だけでも○○町歩。想像がつかんでっしょ? 熊本市内に土地が○○○坪。最盛期はですな、社員旅行にはバスを2台したてていきました。まあ、いまは息子どんの時代になって少し減りましたけんどが。息子どんは頭はいいとですよ。人間もいい。けんどが、事業をやるには、それだけじゃ足りん。野性味がない。それが大事なとですたい。
 センセイの隣の××。ありゃ、言うちゃ悪いがセンセイと違うて大金持ちです。だいたいセンセイのところはセンセイのようなサラリーマンが買えるようなもんじゃないとですばい。センセイはほんにフがよかった。あの××はアタイ以上のモッコスです。はい。がんこ者で、かあーっとなったら手がつけられまっせん。けんどが、どこか抜けとるところがある。そこが愛敬ですな。それが大事なんです。でなかったら1000人もの人間がついて行こうとはしません。
 それでも、このごろは、息子どんも金の相談に来んようになったから、都合よう行きようとでっしょ。景気も上向きになりよるとですかな。
 はい、センセイから頼まれたことは間違いなく伝えときます。アタイは口は悪かばってんが、センセイも分かってござっしゃる通り、誠実な人間です。人をだましたことはいっぺんもありまっせん。ただ、この頃は忘れっぽうなってですな。それに体の調子がどうにもならんで約束を守れんときがある。情けなかこってす。いやいや、そのうちセンセイたちが引っ越して来られたら、ここもまた賑やかになる。そん時まで頑張ります。はい。
 お母さんの具合が良うない? そりゃ急いで帰らんば。 95? わしゃ、まだまだ若い! じゃ、次にですな。 気をつけて帰ってください。

別件
 小国でチビたちを散歩させていると、女子高生たちと擦れ違った。
「かわいい」「かわいい」「かわいい」みな同じことを言って通り過ぎていく。後ろの方からまた声が聞こえた。「わたしは犬よりお爺ちゃんのほうが・・・」「ま、きゃあ」「きゃきゃきゃきゃきゃきゃ」
 いまどきの若いモンは。