(続)韓国の兄(あん)ちゃんのこと

 前回の続き。 2011/06/29
 前回は、みんなで焼き肉を食ったところまで。というか、その日のことはそこらへんで記憶が切れている。
 いや、ひとつだけ覚えていることがある。カルタ遊びをしているときか、焼き肉を食っているときか、兄ちゃんが「どの子がいい?」と訊く。が、そのときの、こちらの目をみたのだろう。「いや、冗談。冗談。」と笑ってすませた。かれを勝手に「ぽん引き」にしたのは、そういうことだ。あとで考えたら、あの家の息子だったのかもしれないと思う。
 そんなことがあって翌日、「さあ、今日は何処へ行こう」と思っているときに、彼らがタクシーで乗りつけてきた。「いい所があるから一緒に行こう」もちろんタクシー代はこっち持ちだ。
 一台のタクシーにぎちぎちで乗り込んで、町はずれにある高台に向かった。 その道中で、ひとりの女の子が百円ライターをつけたり消したりして遊んでいる。「どうしたの、それ?」と他の女の子が訊くと、「お客さんがくれた」。「幾らするの?」と別の子が訊くから、「百円」と答えたら皆が笑い出したので、その女の子はライターを捨てた。いまだに悪いことをしたと後悔している。どうせなら「千円」と言いさえすれば済んだのに。
 高台は、車から降りた女の子たちが歓声を上げるほど気持ちのいいところだった。別にそこで何をした記憶もない。ただ、女の子たちがはしゃぎ回っているのを見ていたんじゃないだろうか。あるいは、女の子たちからいたずらされて、逃げ回ったのかもしれない。
 また車で町にもどって別れ際、「また、遊びにきてね。」と声をかけられた。いちばん普通の慣用語だった。「うん。」たぶん、そう答えた。・・・女の子たちも、そのへんな日本人がまた来るとは思っていなかったろうし、こちらも、その町をまた訪れる気持ちはなかった。が、いまは、あの女の子たちにも、あの兄ちゃんにも、心から感謝している。
 オレが62ということは、彼女たちも60前後。いまごろは、孫の相手で大忙しかな。それでやっと、バランスがとれるんだが。
 
別件
 畑に行ってきた。胡瓜、トマト、ピーマン。夏野菜がいよいよ収穫期にはいる。思いの外よくできているので、「こんなことなら、茄子、オクラ、シシトウなども植えればよかった」と思うが、それはまた来年の楽しみにしておく。
 地面を這いかけているエンドウ豆を起こして竹の枝に結わいつけていると、インストラクターの服装をした人が話しかけてきた。
──きれいになさってますね。
 畑のことではなく、休憩小屋のことだった。
──はい。私専用の昼間の別荘ですから。
──なるほど。そういう使い方をしていただくと嬉しいです。
 農業の経験はなく、お客さんの要望を聞いて回るのが仕事なのだという。
──自分でもなさいませんか? 面白いですよ。
──はい、お袋はそれが楽しみでした。日曜日になると、「山の木を切ってこい」とか言うんですよ。こっちは勤めに出ていて、日曜日ははやくゴルフに行きたいばっかりだから、「帰りに買(こ)うて来てやる。そのほうが安上がりたい」と、禁句をつい言うて、お袋を怒らせていました。あれは禁句でしたな。
 何か要望がありませんか?と言うので、車がないから買い物に出づらい。ここで種を注文できるようになったら便利なんだけど、と答えた。
──こちらが買いにいけばいいんですね?
──そうしてくれたら助かりますね。カツオ菜をご存じですか?
──正月の雑煮にいれるやつでしょう?
──はい。あれは夏場でもおいしいんですよ。でも、野菜屋には出てないんです。
──そうですか。意見を言って見ます。
 種を播いたフダンソウも久しぶりに食った。久しぶりに食って、小松菜やチンゲンサイに駆逐された理由がわかった。少しだけだけど、えぐ味がある。いまは、えぐ味や苦みのある野菜ははやらない。でも、高橋治ではないが、そのえぐ味こそが風味なのだと思うのだが。