『ジョルジョ・モランディの手紙』(2)

2011/07/07

GFsへ
 今日が七夕だということにいま気がついた。
 前回のつづきです、が、話が何処にいくのやら、まだ自分でもわかっていない。
 モランディが若いころ、自分がもっとも影響を受けた「伝統あるイタリアの」近代の画家としてセザンヌを挙げていることは前回書いた。(セザンヌがなぜイタリアの画家なのかは知らない。)
 モランディはほとんどイタリアを出たことがない。セザンヌは写真版でみたことがあっただけのはずだ。しかし、自分で、もっとも影響を受けたと明言している。その影響をうけた写真版は当然まだ白黒の時代である。その白黒の写真版をみてモランディは、内側から盛り上がってくる量感に目を瞠り、フォルムとは静止したものではないことを悟った。・・・理屈をつけたらそういうことになる。
 小林秀雄がはじめてゴッホの麦畑の絵をみて、「画集で見過ぎていたので」あまり感動しなかった、という話は有名すぎる。が、それは「コピーに感動しすぎたら、ホンモノへの感動が薄れる」という話とはちょっと違う。小林が最初に感動した烏が舞う麦畑は白黒写真だった。モノクロームに感動したあとではカラーはかえって明確さが失われる、という話だ。
 5月だったか、ちかくでビオラ四重奏を聴く機会があった。これにはびっくりさせられた。まるで楽譜を読んでいるような錯覚が起こった。「こんな曲だったのか」。バイオリンだの、チェロだのという音色がなく、単一の音色のみの四重奏。それは、いわば、モノクロームの音楽だった。そうなると、音と音の重なり方がかえって明確に聞こえてくる。あのような四重奏はもっとあっていいと思う。
 そういえば、先週、本棚を整理していたら、雑賀雄二の写真集(すべてモノクロ)『軍艦島』が出てきた。「棄てられた島の風景」という副題がついている。「人の視線から見棄てられたものは、もの自体としてのリアリティを帯び始める」という写真家のことばに誘われて、洲之内徹軍艦島に同行し、写真集に文章を寄せる。

 強引に話をもどします。
 モランディの最大の理解者であったらしいブランディは次のように書いている。
 「当時パリの土を踏んでおきながら一度も行ったことがないかのように振る舞うような、図々しい若者たちについてくどくど述べるのは余計だ。・・・
(パリの土を踏むことなく、ただ写真版と出会うことで、モランディは画業の方向が定められた。)
 ・・・こうしてモランディの根源的な探求がはじまった。形象を構成するもっとも単純な意味の探求から発して、徐々により複雑な方法で解決していくこと。・・・一方では、建築的かつ量感的構成、他方は、あらゆる空間の関係を色と光のうちに再吸収すること。(何のことだかわかって書き写しているわけではない)
 ・・・モランディにおいては、風景画も重要な証言である。かれをモデルへ、自然へと結びつけている、模倣によらない関係性をたどることができる。・・・もしもある土地で木々が伐採されるか、あるいは生垣が翌春に再び成長するなら、画家はうんざりして下絵を捨て、前の年に描いたままで中断してしまう。」 

 この話は以前に聞いたことがある。長谷川りん二郎がそうだった。そのために未完の風景画がたくさんあるのだという。その長谷川りん二郎の言葉を思い出す。
──洲之内徹氏が私の画を「この世のものとは思われない趣さえある」と言うとき、私の気持ちを他の方向から感知していると思う。
私の考えでは、「この世のものとは思われない」のは目前の現実で目前にある現実が、「この世のものとは思われない」ような美に輝いている事実です。──
(モランディの存在を教えてくれたのも洲之内徹だった)
 いっぽう、モランディはアメリカ人とのインタビューで次のように語る。
──わたしたちが実際に見ているもの以上に、もっと抽象的でもっと非現実的なものは何もない、とわたしは信じています。わたしたちが人間として対象世界について見ることのできるあらゆるものは、わたしたちがそれを見て理解するようには実際には存在していない、ということを私たちは知っています。もちろん、対象は実在するのですが、それ自体の本来の意味は、わたしたちがそれに付随させているような意味ではありません。コップはコップ、木は木であるということしか、わたしたちは知ることができないのです。
 この2人の言っていることは全然別のことなのか、それともなにか関係のあることなのか、もはやこっちの能力を超えている。

 『モランディの手紙』について書き始めたのに、本人の手紙自体については、ほとんど触れずにきた。ので、記憶にのこっている彼の手紙の中のことばを引用して、締めくくりとします。ある展覧会に出品するときの手紙です。
「わたしの絵は、会場でもっとも光があたらないところに掛けてください。」

別件
 庭の草むしりをしているお母さんの横で、ガロが感動的な大穴を掘った。体重がじわじわ減りつつあるのは気になるが、この夏も乗り切れるかもしれない。