名前あれこれ

2011/8/9

 甲子園野球がはじまったが、東北・北海道の学校はまだどこも残っていないんじゃないかな。練習不足のせいとかとは関係ない気がする。
 いまのところ、「スゲエ」と感じるピッチャーを見かけない。北海高校のピッチャーは「右の武田勝」のような投げ方で楽しみにしていたんだが、負けてしまった。
 市民図書館でみつけた「二本松戦争」のことをまとめた本を読んだ。ただ、地図をつけてなかったので、読み終わってから(飯塚への往復の車中だったのです)地図を開いて、「ああ、こういう地理関係だったのか」。なにしろ、「二本松」「三春」「郡山」と、小藩がこみ入っていて、本当のところはそこで何が起こったのか、よく分からないままだった。奥羽列藩同盟20数カ国の地図を一度自分でつくってみよう。
 なんでそんなことに興味をもったのかというと、ことは6月の尾瀬にはじまる。そのときのバスガイドさんが博識で、東京から会津に向かうあいだ、ほとんどしゃべり通しだった。名前は吾紅(あこう)さん。「吾亦紅から真ん中の亦をとった名前です。」という自己紹介からはじまり、以後、歴史・地理、(昔はそういうのを何とか言ったな。勉強を受験科目で分けるようになってからは何ともつまらなくなった。)東京の下町出身だということだったけど、なんでもござれだった。パック旅行の楽しみのひとつは、そういうベテランのガイドさんに出会えることで、説明を聞きながら車窓風景をみているのが飽きない。
 そのガイドさんの話に、「会津白虎隊は有名だけど」という枕で二本松戦争のことが出てきた。どこかで聞いた地名だなと思っていたら、千歳高校OBたちと安達太良山にのぼったときに利用した駅名だった。来年の大河ドラマに関して出てきた話題だった。
 今年の『江』はあほくさくて見てなかったんだが、主役の女の子が次第に女らしくなってきたので、「ヘーッ」と感心し始めた。まともに見たことはないけれど、韓流女優さんにあの演技力(正確に言うとたぶんあれは「演技」じゃない)を求めることはできない。台湾のあの映画監督はなんといったかな。『非情城市』から『トントンの夏休み』まで秀作が数多い。──子どもの頃、映画がみたくてもお金がなかったので自分で偽入場券を作ってそれで堂々と映画を見に行ったという話を直接聞けたのは、「国際情報コース」なぞというクラスの担任をさせられたお陰。──その監督(たしか侯監督)の「日本とくらべて台湾の女優さんの演技力にはまだ不満がある。」という発言には満足をした。
 読んでいてあまり面白くなかった理由のひとつは、出てくる人名が一般的な名前ばかりで(宗形という名もありました)、異国情緒を味わえなかったこともある。たぶん、士分というのは戦国期を生き残った側ばかりなので、すりつぶされる間にそれなりの名に収斂されてしまったのだろう。「要するに、この人たちは官僚だったんだな」という冷め方をしつつ読んでいたように思う。
 人名のことだけど、書呆子からの連絡で西鉄ライオンズでキャッチャーをしていた今久留主を思いだした。今久留主のつぎが和田、その次くらいから強くなったんじゃかなったか。今久留主の息子は明治で野球をやっていた。そのイマクルスという名前を台湾のアミ族の名簿に見つけたというのだ。今久留主や今給黎というのは薩摩よりさらに南に原郷をもつ鹿児島の名前、というイメージがある。大いにありうるし、あるほうが面白い。
 朝刊にライオンズの一塁手だった修猷館出身の河野昭修さんお死亡記事があった。1957年の日本シリーズ(対巨人)でサヨナラダ打を放ったとある。われわれはまだ9才か。今久留主同様記憶にあるのは名前だけ。新聞によると、もともと三塁だったのが中西が入ってきたのでショートに、豊田が入ってきて二塁、仰木がきたから一塁に回されたのだそうだ。その河野さんは晩年「恩返し」だと、平和台球場のグランドキーパーをしていたとある。実はオレっちもそんな生き方に憧れていたんだけどね。

別件
 日ハム斎藤のピッチングをはじめてまともに見た。まあまあ。ただ、意外なほどほんとうの制球力がない。あれでは完投は無理だし、そのうち先発からもはずれるだろう。
 その斎藤の顔をみていて重大なことに気づいた。菅直人に酷似している。(カナダ国籍のフィギュアスケーターマイケル・チャンもよく似ているが)あれだけ外見が似ているなら、神経の構造もきっとよく似ているのだろう。