児玉桃を聴きにいく

2011/09/05

 昨日はたまたまNHKEテレをつけたら、フォーレのレクイエムをやっていた。大好きな曲だ。司会をしている西村○○も、ほんとうに好きなのだというのが自然に伝わってくる。「フォーレはこれを自分のために書いたんです。」
 先週、図書館にいって日経新聞をまとめてコピーしてきた。それを家で整理していたら、「中堅世代の日本人独奏家たちが今秋、同時代の音楽と向き合う」という小さな記事に気づいた。その冒頭に、「ピアノの児玉桃は5年連続の〃ピアノ・ファンタジー〃第一回(9月17日京都、19日東京)で、権代敦彦への委嘱新作『カイロス』を初演する。〃3.11突然未来を絶たれた子ども達へ〃の副題を持つ十数分の独奏曲」とある。
──行こう。
 児玉桃には手紙を出したことがある。これも新聞記事で、タチアナ・ニコライエワの弟子と知り、『ふらう』を添えて、なぜタチアナ・ニコライエワはあんなにいつも日本に来ていたのか、と尋ねた。しばらくして「ずっとヨーロッパにいたので失礼しました。」と、ちゃんと返事が届いた。ただし「先生が日本をとても気に入っていらした、という以上の理由は私も知りません。ただ、先生を日本に呼んでいたエージェントがありました。いまはその音楽事務所もなくなっています。」とある。こちらは、なにか週刊誌的理由があるのかと思っていたのだが、そういうわけでもなかったようだ。
 ユウチュウブに「児玉桃」と入れてみると、「HOPE JAPAN」というコンサートで、庄司さやかと競演している「五木の子守歌」が出てきた。
──この人は、なにかオレと縁のある音楽家だ。
 絶滅危惧種に言うと、「ついでに、フェルメールを見といで」とあっさり許可が出た。援助資金まで出してくれるという。で、コンサート会場を調べてみると、なんと、お母さんが邦楽を聴きに行ったのと同じ、京都ガーデンパレスのそばにある会場。ついでに、建仁寺小泉淳作のふすま絵と、泉屋博古館の青銅器を一泊二日でみてくることにする。なんだか、やたらにマングリが合ってしまった。
 と、これを打っているときに、須恵高校につないでくれた人から「奈良大学の上の先生が学生を連れて福岡に来る。19:30に飛び入りしませんか?」とメールが届いた。急にまわりも自分も動きだした。
 須恵高校は、なんとなく気に入ってしまったので、土曜日の運動会を見にいき、その打ち上げにも参加することにした。まだ、ほとんど誰とも口をきいていないので、こちらからお酒をついで回ろう。

別件
 白川静が若い頃読んで、「ぼろぼろになっていたので、復刊されたときに買い直して、いまも時々めくっている」とその最晩年に語っている、前田利鎌『宗教的人間』を図書館から借りて読みはじめた。読みはじめたとたんに、「先生はきっとこれを読んでいるな」と感じた。岩波文庫臨済荘子』に入っている部分は後回しにして、残りの部分を先に読む。全体をいつ読み終えるのかは皆目見当がつかない。よって、『イン・トウ・ザ・ワイルド』はまたその後ということになる。
 で、しばらくは黙って読むことになるが、その中の一節のみ。
〃生命と認識の矛盾に直面して、(ニーチェは自分の)生の立場から、こう宣言している。「笑いを含まない一切の真理は虚偽である」〃