ほんとうに自由なひと

2011/09/21

 犬ともだちのMさんが亡くなった。まだ70歳だった。うちのチビたちを、リィの代から可愛がってくれた。しばらく見かけないなと思っていたら、一ヶ月ほど前から入院なさっていたのだそうだ。最近は奥さんがひとりでフウを散歩させていたのは、そういうことだったのか。
 なんだか思いっきり自然な人だった。ある時、散歩の帰りに「久しぶりやな。」と声をかけられて(敬語のたぐいを使ったことは一度もない)、しばらく頸の手術で入院していたことを言うと、「オレも頸をやったことがあぁる。2年以上タタんやったぁ。もうお終いかと思うとったら3年目にまたタったぁ。」と家の前で大声で教えてくれる。そんな人だった。
 奥さんも丸っきり飾り気のない人で、いつも素顔のような気がする。絶滅危惧種によると、山登りが好きで、仕事が一段落してからは海外遠征にまで参加していたという。
 最初に口をきくようになったころは、Mさんちに2匹可愛らしい兄弟の犬がいた。その兄弟が、前をリィが通るたびにけたたましく吠える。それがきっかけで話をするようになった。その兄弟は、間をおかず、散歩の途中で、「あれ、ころんだ。」とおもったらそのまま動かなくなってしまったという。この人もそんな死に方をするのかもしれないと感じた。それくらい素のままの人だった。
──好きなひとと嫌いなひとがはっきりしていたんです。
 いつ頃だったのだろう、家の前にMさんがいるのを見つけて、チビたちがヒィヒィ言って近づいていくと、「あんたたちオレを覚えとったとな。うれしいなぁ。」と言って撫でてくれる。そして、問わず語りに、入院していたこと。救急車で運ばれたけど、その時のことは何も覚えていないこと。意識が戻って、体も動くようになったら、「医者が、あとは何もすることはないと言うもん。」だったら家に帰ると戻ってきたことを説明してくれた。
 奥さんの話では、その後、自動車を運転し損なって骨折し、それがもとで敗血症をおこして、「最後は痛がって可哀想でした」と言う。「もう抵抗力がなくなっておったとですね。」なにか持病があったのだろう。
 もと大工さんで、たぶん自分で家を建てて、山から水を引いてメダカの養殖をしたりして、実に気ままな生活ぶりに見えた。
 兄弟の犬が亡くなったあと、奥さんが迷い犬を見つけて保健所に連れていった。その一週間後、「あいつ馬鹿やから」気になって保健所に行ってみると、飼い主は現れていなかった。北海道犬の血が混ざっているように感じる大型犬で、素っ頓狂な顔をしているフウは、それからMさんちの番犬になった。「ひょっこり来た奴に噛みついてな。やっぱり治療費を払わにゃならんとやろな。勝手にウチに来た奴なのやけどな。」
 フウが来てからは、家族三人で楽しそうに散歩をしている姿をよく見かけるようになって、「よかったね。」と喜んでいた。
 その隣の家にライが来たのは、その前だったろうか、後だったのだろうか。2匹合わせて風来坊である。
 飾ってある写真は、Mさんのふだんのままの、まったく構えたところのない表情で、「いい写真ですねぇ」と言うと、「はい。それを見る度に涙が出ます。」
 またお会いしましょうねと言って葬祭場を出た。
 そうか。以前、自由労働者ということばを使ったことがあるが、その時イメージしていたのがMさんだった。なんだか、亡くなったという実感がない。また、ひょっこり後ろから「おい、何しようとな?」と声をかけられそうな気がする。