白川静『孔子伝』抜き書き(3)

白川静孔子伝』抜き書き(3)

2011/10/06

●古代において楽師はその殆どが瞽史であった。瞽史は音楽の伝承者であるのみならず、文学の伝承者でもあった。
孔子も「われ少きとき賤しかりき」と述懐したが、墨子にいあっては、氏素性もなき徒隷の出身であった。
 儒墨はいずれも、当時の下層社会から生まれた思想である。巫祝の徒である儒、工匠の徒である墨、この両者はそれぞれながい忍苦の生活の果てに、いま新しく社会的に発言する機会をもった。
墨家儒家への批判として起こった。批判は同じ次元での、自己分裂の運動とみてよい。
孟子の学説は、明らかに墨家に対する再批判から出発しているところがある。
孔子の時代には、この民族のもつゆたかな伝統がなお生きつづけていた。神のことばを伝える聖人たちの教えがあった。そのことばの意味を明らかにすることが孔子の使命であった。そして孔子はそれを、仁においてみごとに結晶させた。・・・しかし、墨子孟子の時代には、ようすは一変していた。伝統は滅び、
ながい分裂と抗争とが、すべてを荒廃させていた。・・・人は天のもとに平等でなければならない。そして、天意に代わりうるものが天子となり、王となるのでなければならい。そういう天下的な世界観の秩序の原理を、墨子は法といい、法儀といい、孟子は仁義といい、王道天下と称した。それはまた、ノモスの世界であったといえよう。・・・集団の権威を代表するものは、王でなくてはならない。それは先王ではなく、現在の王、すなわち後王でなければならない。後王主義をを説く荀子、王権の絶対性を説く韓非子の法家思想が、このノモス的世界の最後の勝利者となった。そして墨者は、その強固な閉鎖性のゆえに、ノモス的世界に生き延びることができずに滅びるのである。墨家の最後の集団であった秦墨は、秦の統一が成就するとともに滅んだ。
●荘周の哲学は、絶対論的な哲学であるといわれている。絶対は対者を拒否する。しかし、対者の拒否が単なる拒否にとどまる限り、それは限りなく対者を生みつづけるであろう。対者の否定とは、対者を包み、かつ超えるものでなくてはならぬ。・・・『荘子』にみえる哲人たちの、あの醜怪とも思われる姿は、この思想の表現には是非とも必要なものであった。・・・
 真の実在とはカオスであり、実在の分裂を示すものであり、混沌たるものである。・・・人はなぜ、存在を存在として、道を道として、そのまま把握しないのか。矛盾にみちたこの現実を、どうすることができるというのか。あるものはただ、存在とともにあるところの、己れだけではないのか。
孔子の没後、儒家はそれぞれ門戸の見を執って分裂した。・・・いわば犬儒派が横行する。道はすでに失われており、また道を求める基盤も失われている。伝統は破壊され、巨大化した社会は、外的な帰省の圧力によって、人間をも含めてすべてのものを一の物的な力と化している。・・・使徒時代の伝承は、このような時代の派閥的利害によって歪められてゆく。・・・このノモス的なものを、根柢から突き破らなければならない。おそらく『微子篇』を加えたのは、そういう楚狂の一派であろう。そして、そのことによって、『論語』はわずかにその頽廃を免れるのである。孔子の精神は、むしろ荘周の徒によって再確認されているように、私は思う。

 「ふうっ」である。よくぞこんなに短くまとめた。(ぜんぜんまとまってはいないけれど)
 『孔子伝』はこのあと最終章にはいり、そこには例の「荷篠(ほんとはくさかんむり)丈人」と子路の話が全文引用されている。
 「その身を潔くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕ふるや、その義を行なふなり。道の行なはれざるは、すでにこれを知れり。」
 そして、
 「子路曰く」以下は、孔子の語でなくては話が通らない。朱子のみた福州本には、「子路反る。子曰く」となっていた由である。
 と続ける。
 末尾にはこうある。
●時代はやがて秦漢の統一を迎える。秦の統一をたすけたものは法家の思想であったが、その法はただ君権に奉仕する法述的なものにすぎなかった。そこには世界観がない。

 白川静がこれを昭和46年秋から書きはじめたと書いている。刊行したのは昭和47年11月。ちょうど誰かさんがお茶の水をうろついていたころ、著者ほぼ60歳のころということになる。その、授業にならないことを彼は書き続けた。
 堀田義衞が『定家名月記私抄』を書き始めたのも同じころだろう。──たまたまインターネットに入力したら松岡正剛の「千夜一夜」にぶちあたった。そこでかれは、「できるだけ先に進みたくない。ゆっくり時間をかけて読みたい」という思いにひさびさになった、と書いていた。──
 それぞれの歴史的時間と、著者の時間と、自分自身の時間がだぶりあって、「いま読めて幸運だった」と思う。同時代ではきつい。遅れてきてよかった、という思いだ。
 
別件
 チビたちと公園に散歩にいくと、小学校以前の男の子たちが遊んでいた。
──いや! だめ! 道路を壊しちゃだめ!
──どこが道路ね?
──そうこ。
 指さされたところには、滑り台まで二本線が引かれていた。