百合子さんのこと

2011/10/16

GFへ

 庭の十月桜が終わった。今年は「見においで」と言いたいくらいの盛況だった。あとは、来年の春まで、思い出したようにちらほら咲く。
 十月桜が終わったら、生垣のサザンカにはつぼみがびっしり出来ている。今度は、リィーの遺影の前がはなやかになる季節だ。

 『懶い春』読了。肝心の第10章はコピーして投函したので、月曜日か火曜日には届くと思います。
 読み終わって、小説自体より、『昔日の客』のなかで、「『懶い春』が一番好き。」と言った、百合子さんのことが気になる。たぶん何らかの理由で、「意に添わぬ」お嫁入りをしたのかもしれない。それほどのことではなくても、気持ちを確かめる機会を得ぬままの男性がいたのかもしれない。
 ただし、百合子さんの嫁入り先が福岡でなかったら、べつに読み過ごしていたかもしれぬ程度のことなのだが。
 福岡となると、やっぱり妄想がはたらく。昭和20年代とあってみれば、「嫁ぎ先は炭坑主」か? 以前、神主の時枝先生と話していると、「飯塚は景気がよかったころに京都から嫁入りしたひとがけっこう多い。飯塚が美人の産地なのは、そういう理由もある」と言っていた。さもあらん。その筆頭が伊藤伝右門もと夫人。京都からではないが、麻生家伝説はいまに至っている。(美人だったかどうかは知らないが。)
 いつごろだったか、博多座にだれかを見にいったとき、80代と思われる、なんとも上品な和装のひとを見かけた。その日の演目は忘れているのに、そのひとの周囲の雰囲気はまだ覚えている。なにしろ久方ぶりに紗がかかっていた。傍にいた絶滅危惧種に教えると、「まあ」。琴をやっているので、和装が趣味なのだ。「写真を撮らせてくださいち頼んでみようか?」「うん。」ところが帰りの雑踏のなかだったので、近づくことができないまま。小柄でふくよかで、お花か、お茶かの先生かなという風情だった。
 あんなひとが「百合子さん」だったらステキなんだが。
 つまり、どこかで、百合子さんには幸せになっていてほしいという、願望のようなものが芽をだしているらしい。

 『摩羅考について』は、肩すかしを食った。
 要するに、竹本だか、竹山だかという人が『摩羅考』という文章を書き、そのなかで、かの日本語は立川流によって使われはじめた、と説明している。それに対する反証が延々とつづく。
 立川流より50年まえの○○に出ている。200年まえの××にも出てくる。いや、『古事記』にも出ているのを知りもせずにかの論文を書いたのか?
 そのとちゅうにある脱線は、男女両方の地方語の数々。まあ、あるはあるは。
 中国古語では開閉がそれぞれのものを指すのだそうです。
 とどのつまりは、「大物主命」とは、そのものずばりの神様なのだという。(なんだかそんな気がしてきた)
 かのことばは、ことほどさように、神代の昔からの由緒正しいことばなのである。なにが、立川流か!!
 でも、わざわざ「自信作」と自賛するほどのものでもない気がした。
 
別件
 枕草子『うつくしきもの』をやりつつ、やっぱり思ったこと。
 「いつく」と「いつくしむ」「うつくしむ」と「うつくし」は、語源が同じではなかろうか。
 なぜそう感じるのか? 
 日本の神は大いなるひと、なのではなく、ごくごく小さなひとだったからである。