母上の誕生日

2011/10/20

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 本日は皇后陛下77歳の誕生日。ということは、わが母上95回目の誕生日。皇后はまだまだ。
 よくここまで来たなという感慨には相当のものがある。必ずしも体のことではない。よくぞ穏やかな老人になってくれた。
 いい家の箱入り娘として育てられた前半生と、時代の波のなかで、金銭感覚を失った父や叔父たちによってあっという間に家産を失った戦争直後。(家だけが残ったと言いたいが、その家も抵当に入っていた。父親が死んだあと財産整理をしていて、まだ法的な抵当権抹消手続きが済んでいないのを知って、あちこち動かなくてはいけなかった。なにしろ、もう無くなっている銀行があったのだ。)夫も戦争で失い、祖母と母親と病気で婚家からもどってきていた妹と生まれたての娘の、女ばかり5人の家庭は、なんとも心細かっただろうと思う。
妹は実家で亡くなった。その部屋に子どもたちは出入りできなかったので、「二階のおばちゃん」という呼び名しかしらない。相手の男性が再婚するとわかったとき、祖母は東京に行って娘の遺骨を取り戻してきた。いまそれは、飯塚の寺の納骨堂にある。母親が死んだら、鳥栖のもともとの菩提寺の墓にいっしょに入れようと思っている。仲良しの美人姉妹として近所では評判だったらしい。姉は原節子に似ていた。妹は竹久夢二の絵に出てきそうな面立ちだった。
 再婚後は、あまりにも育った環境が違う二人ではあったが、子どもを育てるという共通課題があったから、なんとか続いた。
 「町にいこうか?」
 なにごとかあると、母親は息子を引っ張り出して喫茶店やレストランに行った。そこで、息子に珈琲やビーフカツをおごりながら、さまざまな心情を吐露した。しらない人の話もでてきていたが、小学校高学年になって、それが姉の父親のことだったんだとわかった。(姉自身は高校を卒業するまで知らなかったそうだ。
──「わたしのお父さんはどんなひとやったと」ち訊いたらね、ちょっと考えて、あんたみたいな人やったち答えたよ。
──ふうん。いま、おふくろは姉ちゃんのお父さんのことをどげ思いようとやろか?
──カミサマごと思いようっちゃないと。
 だから、姉の知らないことをたくさん覚えている。すでにそのころから、息子&恋人だったのだろう。いまや、息子&恋人&保護者なのであるが、なんとなく、いなかったお兄ちゃんか、おじちゃんみたいな感覚でいるんじゃないかと感じる。
 姉の父親が戦地から送ってきた手紙や葉書とアルバムは、「あたしがいつどうなるか分からんから」と預かっていた。姉は育ててくれた父親に義理立てして受け取ろうとしなかったのだそうだ。それらは、父親が死んだあとで姉に渡した。その最後の葉書はシンガポールからだった。姉がうまれる直前だったと記憶している。「女の子が生まれたらキクと名付けてくれ。」ビールがはいって昂揚してしていたらしい文面にはそうあった。自分が死地に赴くという覚悟はすでにあったろう。(2度目の応召だった。)しかしそこが地獄のようなところだとまでは思っていなかったのではないか。
 キクは彼が所属している兵団の呼称であり、たぶん敬愛していた義母の名でもあった。が、祖母とおなじ名にするわけにもいかず、姉は別の名をもらっている。
 父親の認知症が火山のように突発し、介護保険のなんとかマネージャーと懇意になった。が、なんども話しているうちにイラっとなって、「私は親の体のことはあまり気にしていません。私たちもいつかは死んでいきます。でも、それまでは親の心を守りたいんです。」と言った。本気だった。
 父親の痛みがひどくなり麻薬を使うようになった。妄想が起こるケースがあるというので心配していたが、父親は最後まで穏やかだった。知り合いの話では、その人のお母さんの場合は、聞いていられないようなことを口走るようになったという。「あなたのお父さんはとても我慢強い方ですよ。」看護婦さんから言われてとても有り難かったが、不思議だった。こっちが子どものころは、飯を食っている最中に茶碗が飛んでくるような人だったのに。
 その父親にかまけているころ母親の認知症も進行していたのだろうとは、あとで思ったことで、じっさいにアルツハイマーという診断がでたときは悲しくて悲しくてやりきれなかった。が、いま、これでよかったんだと思う。グループ・ホームにも、「もう病院には行かせたくない」と言った。山口県の益田出身だというリーダーのかたも同じ意見だった。毎日毎日が同じことの繰り返し、というよりは、30分ごとが同じことの繰り返しなのだが、それでいい。
 こっくりこっくりしていて目をさまして、「あんたまた帰って来とったとね?」福岡にもどるときは、「また頑張って働いて、お土産をいっぱいもって来るきね。」というと、うれしそうに笑う。仲良くなったミヨコさんまで、調子のいいときは、「あたしの分もお願いしまあす。」
 このまま、ずっとこのままでいたい。ただ、そう思う。
 
別件
 9月からずっと欠席していた生徒が退学した。
「一度も顔をみないままだったな。」
「ほんと? 先生ならぜったい仲良しになっとうよ。 ね?」
「うん、ほんと、ほんと。」
 自分たちはもう、新しい先生と仲良しになったつもりらしい。