糸島旅情

GFsへ

2011/10/27(木)

 福岡もけっこう冷えてきた。チビたちの散歩の時、この秋はじめて長袖の上着をはおっていった。そろそろ冬支度をはじめよう。絶滅危惧種はもうセーターを着込んでいる。灯油も買ってきたそうだ。
 夕方の散歩は今津湾半周。海からの風は強いが、なんとも景色がいい。土手伝いを歩いていると、自分たちが風景のなかに入りこんでいるように感じられる。もともと干拓してつくった平坦な土地なので、空が広く見えるのが、この糸島半島の自慢だ。
 農地には、いたるところにクリークがあり、閘門がある。農地をひろげたあと、大潮などのときに、塩水が逆流してこないための工夫だろう。いまでは今津湾への水路の出口に何カ所も大きな堰が作られている。
 この季節、夕日は可也山(俗称、糸島富士)のうしろに沈んでいく。山にかかりはじめた夕日は実に巨大だ。それが山の背後に隠れると、可也山の円錐形の形がくっきりと空に浮き出す。標高はたいしたことないのだが、単独峰だから、その姿はなんとも雄大に感じる。まだ建物がいまみたいに建っていなかったころは、写真に撮りたくなるほどの景色だったろう。
 可也山だけでなく、このあたりの山は、高祖山、長垂山、毘沙門山など、なにやら由緒ただしい名前がついている。日本最大の銅鏡が発掘されたのは糸島だし、自分の住む今山はもとは石斧の生産地として有名で、いまでも頂上付近まで登ればマグサイトとかいう平たい石をたくさん見かける。いわば日本発祥の地なのではないか。(大和のじゃないよ)じっさいに今でも、「ここが邪馬台国だったんだ」と主張しているひともいるらしい。が、邪馬台国よりもっと古い土地のような気がする。
 夕方の散歩の帰りは、たいてい近くの玄洋中学校の駅伝部といっしょになる。玄洋中学は隣の元岡中学と並んで駅伝競技の強豪校なのだ。北九州にも強い中学があって、全国大会に出るのは大変らしい。我が家は坂の上にあるので、そこまでアップダウンが激しく、クロスカントリーコースみたいで、練習にはもってこいなのだろう。大抵は先生もいっしょに走っているのだが、昨日は生徒だけ。それでも、特に女子は「これが中学生か」と感じるほどはやい。はやいだけでなく、走っている選手たちの表情を見ていると、申し訳ないが、××高校生よりずっと大人びてみえる。(××高校生も真剣なときは大人びた表情になるのだろうが、残念ながらそれは国語の時間ではない。そういや昨日は教室で男の子が面白いことを言っていた。「このクラスはみなT先生──女性──を恐れおののいています。でもそのお陰で古典の平均点は60を超えました。」)今年はそうとうに強そう。大会はもうすぐなのだろう。楽しみだ。
 この間、チビたちの「お友だち」になってくれたNさんと話していると、その岳父が玄洋中学の校歌を作ったのだという。Nさん自身は何をなさっていた人か知らないけれど、きっとNさんも知的な職業についていらっしゃったのだろう。夏祭りのときは、すぐ近くに本格的な声楽家がいることを知ったし、この美浜台にはじつにいろんな人が暮らしている。
 なにしろ坂の上なので、いつまで暮らせるか分からないけど、(実際にまわりの家はすぐ左隣、前の二軒、右の一軒隣はもう住人が入れ替わった。何軒か離れたところならもっと多い。)できるだけ足腰を鍛えて、ながく暮らしていたいと思う。畑が遠いことを除けば、住み心地は満点だ。ただし、車がないと暮らせないところだから、お母さんの具合が悪くなったらもうアウトだな。やっぱり精をだして原チャリの免許をとっておくか。

別件①
 夕方の散歩の帰りに、「おじちゃん待てぇ!」という大声が聞こえてきた。自分のこととは思わずにそのまま家のほうに帰っていると、すぐ後ろで「待てぇ!」。カンナちゃんとハルカちゃんだった。「待てぇち言うても待ってくれんとやモン。」ひとしきりチビたちと遊んでいるうちに、「あ!いかん。遅れる!」どこに行くのだか、ふたりで駆けだしていった。
別件②
 朝の散歩のとき、登校中の1年生ノノカちゃんとノリタカくんとそのお姉ちゃんに出会った。とくにノリタカくんが熱心で「この二匹は結婚すると?」「オッパイある?」「あ、あったあ!」
 ゆっくりし過ぎたら遅れるよ、というと、「うん」と離れて行きながら、「僕たち玄洋(小学校)やからまた会えるよね。」