不立文字の精神

2011/10/30
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 前田利鎌『臨済荘子』を読み終わった。そんなつもりでなく列車のなかで読んでいたので、急に終わったときは、なんだかボカっとつっかい棒をはずされたような感じになった。
 中身はやたらと難しそうだった。(数式が出てくる文章とおなじように、面倒なところは飛ばし読みをしたから「そうだった」としか言えない)が、そのこと以上に「なんでこんなに熱がこもっているんだ」と感じる。若いのだ。
 20〜30代でこんなことを書いている者は、40〜50代になったときはどんなことを考えるようになるのだろう。明治31年生、昭和6年没、34歳。時代は急速に個人の存在を許容しなくなっていく。あるいはそんなとき、前田利鎌のような男は、むしろ全体主義へ一気に傾いたかもしれない。だったらダメなんだとは思わないけれど。
 そんな中に、先住民にでもわかる部分が少しだけあった。
 臨済たちは、己の説法を書き残すことをしなかった。説法とは病人に与える薬のようなもので、相手が健康になったときはただ毒にしかならないと考えたから、というのだ。この考え方は気に入った。
 学校の先生のような口をきくが、普通教育の眼目もそういうところにある。「○○を教えてもらった」「××のおかげで」などというのは、その学校にとっては勲章でもなんでもない。むしろ、教育の失敗例だ。もし、教育によって血肉化されたものがあるとすれば、それは跡形も残っていないはず。そして本人はすべて、自分で考え、自分で決断し、自分で行動を起こしたと思っている。
 誰かさんが時々、母校の話をする。筆者は誰だったか、『人生で必要なものはすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本がある。(ウロ覚えの題名です。でも、いまでも注文したら手に入ると思う)自分の場合は、いま考えていることの種はすべてあの穂波川原脇で生じたとしか思えない。けど、そこで学んだもののことは、時枝先生流に言うなら、「そんなことを教えた覚えはない。おまえが自分勝手に学んどうとたい。」ということになろう。それが、ほんとうの学校なのだ。そう信じられたから、卒業生を送り出すときに、「坂道を下りながら、もう二度とこの坂を上らんぞ、と思え。」と言えた。オレもお前たちのことはきれいさっぱり忘れてやる。・・・男同士だから言えたことではあるが。(そうか、組担任をしている間は、なにか自信があったのです。)
 野見山暁治の書いているもののなかに、パリにいた森有正(『霧の朝』はいつか必ずも一度読み直したい)のところに東大から招聘が届いたとき、迷って先輩に相談したという話がある。
──お前、教師ってなんだか知っているのか? あれは偽善者だぞ。おまえは偽善者になるために、わざわざ日本に帰るのか?
 福岡にもどって教員になりますと、先生に報告したとき、「じゃ、この次に会えるのはいつになるか分からないから覚えておけ。」という話のなかに、「偽善者になるのを怖れるな」という一項目があったな。
 森有正はフランスに残ることにした。が、「芸大から教師にならないかという話がきたとき、ぼくは喜んで引き受けた。」面白おかしく書いているのではあるが。
 その野見山暁治に「へぇ、あたし、貧乏絵描きと結婚したつもりだったのに、あんた大学の先生なんかになりたかったの? へぇ?」と言ったという奥さんには一度会いたかった。中洲の「蜂」が根城だとわかっていたらGに、「ボーナスがでたら、その袋をふところに入れて行くぞ」と言えば、「おう」と応じていただろう。(野見山暁治のアトリエは糸島にあった。そこは門番つきのリゾート地だ。20年ほど前、その門まで行ってみて、門番に確認したことがある。)
 が、野見山暁治を「この男はほんものだ。」と感じたのは、そのあとの記述だった。「どんな教師になろうかと考えた。そして、あのがちがちの教育に反発していまの自分があるのだから、自分もがちがちの教育をやろうと決めた。」
 だれが何を言ったかも大切だ。30年ちかく前、Gと久住に行くことなり、法華院に泊まったことがある。(いつかFも連れて行きたい、自然の温泉だ。わき出した温泉は流れになってその山小屋に来ている。だから雨の日はやたらとぬるい。飯は少々ごっちんである。そうだ。こんど大雪のときは、法華院に行こう。そこまでならGからも許可がでるだろう。)3月末だった。風呂に入っていると修猷館だという男の子たちがわいわい話ていた。卒業生が後輩に、教師たちの最後のことばを教えてやっている。「○○先生はなんと言いましたか?」「××先生は?」なるほど、いい学校というのはこういうものかと、彼らがうらやましかった。が、それ以上に大切なものがある。それが自分のことばだ。その自分のことばが育つまで、ただ待ってやること。いや、ほったらかしてやること。ヤバイと感じたときだけ、「ちょっと来い」と言えばいい。たぶん、そういう教育を自分は受けたのだ。
──オレの言うことは、半分だけ信用して聞け。
 最近知ったばかりの「得魚忘?(セン)」もまた、おなじことを言おうとしているのだと思う。「ノウハウを覚えていることは、いきいきと生きるためには邪魔になるだけだ。」
Each time is a new time──ヘミングウェイ──
 山本周五郎は赤ヒゲ先生に、「人生は教訓に満ちている。しかし、万人に適用できる教訓などひとつもない。たとえそれが、″殺すな″という教訓であっても。」と言わせている。
 前田利鎌の引用していることろで、あと一カ所、心にしみたところがあるんだけど、それはまた別の機会にします。

別件
 熱をだして寝込んでいるとき夢をみた。夢の中では弟も父親も元気だった。目をさましてから、いつかそのうち昼間も元気でいるようになるんだろうなぁと思った。