申徒嘉兀者也

荘子』内篇 第五徳充符篇二

 2011/11/02

 申徒嘉は兀者(ごつしゃ=足きりの刑を受けた不具者)なり。しかして鄭の子産とおなじく伯昏無人を師とす。
 子産、申徒嘉に謂ひて曰く、
 「我、先に出づれば則ち、子、止まれ。子、先に出れば則ち、我、止まらんと。」
 その明日、又ともに堂を合わせて席をおなじくして坐す。
 子産、申徒嘉に謂ひて曰く、
 「我、先に出づれば則ち、子、止まれ。子、先に出れば則ち、我、止まらん。いま我まさに出でんとす。子もって止まるべきや。それ未だしや。且つ、子は執政を見て避けず。子は執政に斉しきや」と。
 申徒嘉曰く、
 「先生(=伯昏無人)の門に、もとより執政あることかくの如きや。子はしなはち子の執政をよろこびて、人をのちにする者なり。しかも猶、言を出だすことかくのごときは、また過たずや」と。
 ・・・申徒嘉曰く、
 「人、その全き足をもって、わが全からざる足を笑ふ者おほし。われ沸然として怒る。しかも先生の所にゆけば、すなはち廃然として反る。知らず、先生のわれを洗ふに善をもってするかを。われ、夫子と遊ぶこと十九年なるも、しかも未だかつて、われの兀者たるを知らざるなり」・・・
 子産・・・容をあらため、貌を更へて曰く、
 「子、すなはち称することなかれ」と。

 申徒嘉は足切りの刑を受けた不具者だった。そして、鄭の宰相子産と同じく伯昏無人を師としていた。子産は刑余の者と同行するのを嫌い、申徒嘉に言った。
 「わたしが先に出たら、君はあとに残ってくれ。君が先に出たら、わたしはあとに残ろう。」
 あくる日、ふたりはまた同じ堂で同席した。子産は重ねて申徒嘉に告げた。
 「わたしが先に出たら、君はあとに残ってくれ。君が先に出たら、わたしはあとに残ろう。いま、わたしは外に出ようと思うが、君はここに残ってくれるか? どうかな? だいたい君は、一国の宰相の私を見ても、敬意を表して避けようとしないが、君は自分を宰相と同等だと思っているのか?」
 すると、申徒嘉は答えた。
 「いったい、伯昏無人先生の下にいるとき、宰相など(なんだのという身分)があるだろうか? 君は、自分が宰相であることを鼻にかけて、人を見下そうとしている。・・・いま君は伯昏先生から大道を学ぼうとしている。それなのに、そんなことを口にするのは大きな過ちではないのか?」
・・・申徒嘉は言った。
 「ひとびとは、自分には足が完全にあるので、わたしの不具を笑う者が多い。私は腹が立ってたまらない。しかし、先生のところに行くと、すっかり忘れて平静になることができる。先生の徳が私のけがれを洗い落としてくださるのかもしれない。私は先生のもとで学ぶようになってから十九年にもなるが、その間一度だって自分には片足しかないということを意識したことがないのだ。」
・・・
 子産は態度をあらため、表情をかえて言った。
 「君、もうそれ以上は言わないでくれ。」


「得魚忘筌」の出典も分かったから報告します。

荘子』雑篇 第二十六外物篇

 筌(せん)は、魚に在る所以なり。魚を得て筌を忘る。
 蹄(てい)は、兎に在る所以なり。兎を得て蹄を忘る。
 言は意に在る所以なり。意を得て言を忘る。
  吾安くにか夫の言を忘るるの人を得て、之と言はんや。

 筌(うえ)は魚をとらえるための道具である。魚をとらえてしまえば、筌のことは忘れてしまうものだ。
わなは兎をとらえるための道具である。兎をとらえてしまえば、わなのことは忘れてしまうものだ。
ことばというものは、意味をとらえるための道具だ。意味をとらえてしまえば、ことばに用はなくなるのだから、忘れてしまえばよい。
 私は、言葉を忘れることのできる人間を捜し出して、ともに語りたいものである。
 ──森三樹三郎 訳──

別件
 わがやのウ○コ大魔王が復活か? 一昨日、6回もりっぱなのが出た。これが、体重が増え始める兆候でありますように。