一種抽象的な技術者

堀田善衛『城館の人』読書ノート(2)

2011/11/7

 堀田善衛は十代のモンテーニュが学んだであろう、16世紀前半の(のちにコレージュ・ド・フランスと呼ばれることになる)学校の、ラテン語ギリシャ語以外の課業を列記している。面白いから全部書き写す。(当時はまだ、ただ寄宿舎だけで校舎はなく、「王立教授団」と呼ばれていた。どうやら、我が国でいうと、旧制高校的な教育機関であったらしい。)  
 「 討論会、演説、ラテン語劇、講演会、テニス、乗馬、馬上試合、斧や鉞を使っての武術、剣術、兎狩り、猪狩り、高跳び、水泳、弓術、棒術、音楽演奏(リュート、スピネット──なんと懐かしい──、ハープ、フルート、など)、植物採集、標本保存、夕食後の晴天のときは天体観測と星座やその軌道などの天文学、干し草の束ね方、薪割り、鋸の使い方、小麦の脱穀の仕方、金属の鋳造、鍛冶、薬種屋での薬物調合実習、薬物の処方、農場や牧場の見学、葡萄酒醸造技術、裁判所における裁判の進められ方、弁護士の弁論などについての現場での研究、講義、、、、そのほかに、教授に同行を許されて出入りするようになるサロン。(そこでは、貴族や政治家や軍人や大商人や外国人たちと接する機会を得るのみならず、立ち居振る舞いを学ぶ場でもあった) 」
「 これでは学生にはまったく閑暇などないように思われるが、青春は、如何なる事情があるにしろ、時間を盗みだす、本能的な才能を備えているもののようであった。 」
 さらに、課業ではないが、「宮廷から居酒屋まで、あるいは女郎屋までを歩きまわって、市場の符丁による話し方までを覚えている。本当に生きた言葉というものは、・・・靴屋の徒弟と親方、女商人、飲み屋の親爺、大道商人などの暇のない、ほんのちょっとした暗示言葉などで、決定的な意思疎通をはからねばならぬ人々のいる場所で生まれることを知ったことは、彼に融通無碍なフランス語を得させることになるのである。」
 もちろん、ただ〈歩きまわった〉だけでは、なにひとつ習得できるはずがない。かれはもちろん〈出入り〉していたのだ。「彼らはジュピターやヴィーナスの子等である。」
「 が、しかし、青春というものが、回顧、あるいは回想によって美化されるのがつねであってみれば、青春そのものはただ生臭いだけのものであるのが、青春というものの実態であるかもしれない。」

 そして、次のように言う。
「 教育とは、かかるものであったのではなかろうか。受験技術のみに練達した、いわば一種抽象的な技術者を製造することを旨とした教育は、果たして教育の名に値するものであるかどうか。 」

別件
 夕方の散歩で、新顔のモカといっしょになった。まだ一歳未満。血気盛んで、お母さんの言うことなんか聞こうとしない。
──こら、タカシ!!・・・???・・ あ、しもうた。息子の名前やった。