大阪芸大の卒業生たち

2011/11/10
 GFsへ
 先週、福岡市の国語教員たちでお伊勢参り。今年は、皇學館大学の先生が案内役をしてくれた。その先生たちや企画してくれた部会の事務局の人たちに感謝。ただ、その人たちと自分とは、一世代違うんだなと気づいて、ちょっとショックだった。が、そんなことはまたいつか。
 行ってビックリしたのはその人出の多さだった。そのことを案内してくれた皇學館の先生に言うと、「今日は少ない方です」という。いいことなんだろうけど、なにか異様なものを感じた。
 ちょうど出掛けた日、錦織がジョコビッチに勝った。ジョコビッチが体調不良だったとは言え、これは歴史的な事件だ。錦織の才能を見抜き、アメリカ留学の費用を援助したという、ソニーの○○さんも草場の陰で喜んでいることだろう。
 錦織に限らず、最近の日本の若者たちは、経済や政治の低迷とは裏腹に、あちこちの分野で大活躍しているように見受ける。ものごとは大体そういう具合になっているのかもしれない。いま、日本は食べ頃なのだ。旬、は、「もう過ぎたんだ」という形で気づくものらしいが。
 伊勢神宮の話は、いつかまたするとして、今日は、門司から乗り込んだフェリーでのことを、まず話したい。
 その日は、ホークス対ライオンズの2戦目で、ロビーでは大型テレビの前に人だかりができていた。その横で晩飯を食っていると、急に妙なる歌声が聞こえてくる。テレビの前の人たちの大歓声をものともせずに、朗々とうたっている若者たちが気になって、早々にロビーに行った。ちょうどビールも入っていて、なかなかいい気分でもあった。
 CSが佳境に入ったころ、若者たちは歌劇の中の、あれは何というのだろう、要するに掛け合いの一場面を演じはじめた。『魔笛』と『ドン・ジョバンニ』だった。その歌声もさることながら、歌姫の表情の豊かさに引き込まれてしまった。それは、ただごとではなかった。「こうやってすぐ間近で見る機会があるなら、も一度見てみたい」
 大阪芸大の卒業生たちなのだという。椎田町での公演の帰り、自分たちから申し出て披露してくれたのだった。
 あの歌姫の表情は、たぶん型ができているのだろうと思う。ただしその型は、歌舞伎とちがって「決まっている」のとは逆に、実に自然に柔らかく変化をしていく。それは、「あと百回でも二百回でも見たい」と感じさせるほどの豊かさだった。わかりやすく言うなら、もし、自分の住むまちで毎夜上演されるのなら、この爺さんは毎晩でかける。それも、毎晩おなじ演目でいい。おなじ演目の同じ歌を見に、毎晩でかけるだろう。そう感じる何かがあった。
 あの若者たちが、音楽だけで生活を成り立たせることができる社会であってほしいと思う。
 その次の日、皇學館の先生のはからいで、神楽をみた。ほんらいは観客に見せるものではなく、舞台の奥の神さまに向かって演じられる。その神楽を演じているときの巫女さんたちの表情の硬さに驚いた。それもまた「型」が決まっているのだろうから、変に柔らかい表情になったら厳しく注意されるのだろう。それにしても、古代から続いているはずの、おおらかさが全くない。生命感がない。(最近復活させたものなのかな)
 われわれが生活を維持していくには型が必要だ。その型はいったん崩れたら、どうやら二度ともとには戻らないものでであるらしい。人は本能的に、非経験的にそのことを知っている。元の型を取り戻すことに比べれば、新しい型を作る方がよほど楽だ。
 だから、型を崩すくらいなら自分を消滅させる方を選ぼうとする。われわれは、その型のなかに限定させている存在なのだ。
 と書きつつ、いま現在、自分にはどんな型があるのだろうと考えても、何も思いつかない。きっと無意識のうちにつくりあげているものがあるはずなのに。・・・そうだった。「もう、それを意識しまい」というところから社会生活がはじまったのだった。「自分で考えなくても他人が勝手に決めてくれる」。
 昨日、「先生のニット帽をオレが編んじゃぁ。」と言った悪そう坊主には、この爺さんはどんな風に見えているのだろう。

別件
 この前、山小屋にいったとき、野良着姿で石に腰をおろしてお喋りをしている二人のおばちゃんを見かけた。ほどよい天候の空の下で、いったい何時間前から話しつづけているのだろうという風情だった。
 頭じゃ勝負出来そうにないから、生き方で勝負してやると決めてからの40数年間は、それなりに勝負になった気がしている。しかし、あのおばちゃんたちは、生きていくことを勝負ごとなんかにしようという肩に力を入れた発想なぞ、最初からまったくなかっただろう。「あの人たちのほうがオレの10倍以上じょうずな生き方をしている」うらやましさを通り越して、ただ心のなかで頭を下げた。