『城館の人』読書ノート(3)

GFsへ

 2011/11/17

──ほんとうに偉い人は結論を出していない。
 先週、「断言することだけが思想家の任務なのではない。〈未決のまま〉にして、それを胸中に置いたまま生きることのほうが、はるかに勇気を要する。」という堀田善衛の言葉を引用したあと思い出した。あるとき、我が師がぽろっと言ったことだ。そのとき念頭にあったのは、「神の存在」についてだったと記憶する。
 が、その直弟子を自称する男は、平気で、「そんなもん、おるに決まっとるやんか」と公言して憚らない。ただ、おっても、おらんでも、こっちの生き方は何も変わらん。ただしそれは、決して「かのように」生きるという意味ではない。むしろ、「神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる。」と言ったボンヘッファーだったかの言葉が忘れられない。いや、八百万の神々とともに暮らすものとして、ちょっとだけ、重大な改訂を加えよう。「神々とともに・・・、神々なしで・・・」

 『城館の人』読書ノートのつづきです。ちょうど、第二部が終わったところ。とにかく読んでいて、その臨場感がたまらない。だから、自分がどのくらい読めているのかとかは、どうでもよくなる。
 主題のモンテーニュのことは、こっちに置いといて、第一部の「争乱の時代」の話をもすこしする。
 筆者が繰り返し強調していることは、「16世紀にはすでに、200年後のフランス革命の核となる考え方が、明瞭にその形をあらわにしてきていた。」ということだ。
──1789年の大革命は、突発現象などでは決してなかった。
 「16世紀のフランス・ルネッサンスは流産した」というのが定説なのらしい。が、そういう考え方にも堀田善衛は異論を唱える。
 「 この時代が文芸復興(ルネサンス)期、と後世によって名付けられたからといって、この時代を現実に生きた人々が、文芸、あるいは学問の復興期でるなどと思って生きていたわけでは、まったくなかった。 」
 「 一つの思想が社会的に実現されて行くためには、その思想が学者や著述家の手を離れて行かなければならない。思想家や著述家が手持ちぶさたになったからといって、それを〝流産〟などと言うのは当を得ていないだろう。・・・」
 〝思想〟は、思想家や著述家の専売品ではない。むしろ、一般庶民がその考え方を〝思想〟などというカタ苦しい言葉ではなく、〝当たり前のこと〟として実践しようとするようになっとき、はじめてそれは思想と呼べるものとなる。筆者は、そのさまざまな萌芽を手探りで拾い上げている。

 では、本題のモンテーニュについて、
 ラ・ポエシーがわずか32歳で死に瀕したとき、親友モンテーニュに次のように告げる。
──自分は今、一切全部のものの混沌たる只中にいるように思う。ただ厚い雲か、暗い霧の 中に、何もかもが入りまじり、秩序もなくからまりあっているのが見えるように思う。だ がしかし、それでいて別に何も不快な感じはしない。
──死はそれほど辛いものではないね、兄弟よ。
──それどころか、それほどに悪いものでもないさ。
 こんな友情もあったのだな。
 あと一カ所、すこし長くなるけど抜き出す。読みかけのまま現物が行方不明になった幸田露伴の『首都論』を思い出すような、パリについての一文。
 「 私はパリそのものが好きなのだ。だから、祭りなどで飾りたてられたものではなく、普段のパリの方が好きだ。私は心から彼女が好きなのだ。その疣や痣までが好きだ。・・・私はあえて彼女に告げる。あらゆる党派の中で最も悪質なものは、彼女を不和におとしいれる一派である、と。私はただ彼女自身のために、彼女を憂える。この国の他の部分のために恐れるのと同じように、彼女のために恐れる。彼女が存する限り、私は死ぬまでの隠れ家に事欠かないであろう。この都さえ残っていれば、他の隠れ家を失ってもあえて惜しまないであろう。 」
 時代は、カトリックプロテスタントの相剋の様相を呈しはじめていた。

別件
 自分も授業に行っているなかに、エネルギーを吸い取られてしまうクラスがある。ある男の子が「このクラスは××先生を恐れ戦いています。」と言ったところだ。食堂で他のひとと、そんな話をしながら400円定食を食った。ある先生は、「お前達に授業やら教えられん。」と言って教室を出てしまった。仕方がないので、教頭先生や校長先生が代講をしたという。なかなかの学校だ。「ほんとうに教頭先生が来たのか?」「はぁい。」まさか、その人の代わりが先住民だったわけでもあるまいが。
 一年生のクラスでは、あるとき、時間割の変更が出て、繰り上がりで或るベテランの先生が教室に行ったら、「あれっ? 先生の時間じゃありませんよ。」というので、「なんだ」と帰りかけたら、女の子が袖をつかんで、「ウソでぇす。ほんとはセンセイを待ってたんでぇす。」
 もともと、超進学校から移ってきた人だが、そんな経験はたぶん初めてだったのじゃないか。老後に人間勉強をするなんて、いい学校ですね。・・・これ、本気で、まじめに言っているんだろうけど、誤解をする人のほうが多そうだな。