はにかみの国のままで

GFsへ

2011/11/19

 今週で、来週木曜日からの試験範囲を終えた。なんだかほっとしている。なにしろ範囲が多くて、得意の横道に逸れる暇もない。
 現代文は、最後のまとめとして「孤蓬(ほんとうはたけかんむり)庵忘筌」の説明を以下のように黒板に大きく書いた。

孤蓬 社会から切り離れて一個人になること──屈原

忘筌 言葉に頼らずに心と心で向き合うこと──荘子 

 たったこれだけのまとめを何日考えつづけたのだろう。あとは口頭で説明を加えると、国語好きの男っぽいTさんが大きくうなづいた。(彼女が目標のひとりなのです)
 子曰く「お前のエッセンスだけを生徒に伝えろ。あとは生徒が自分で考えはじめる」
 古文は「伊勢物語 東下り」と「史記 鴻門の会」と「源氏物語 桐壺」。いずれも最初のところだけとはいえ、これを全10回ほどで終わらせたのだから生徒も大変だった。中間考査まえは、も少し余裕があったので、予習したことを発表させたりしていたから、生徒もけっこう張り切って調べてきていたが、今回はもうそれもなし。期末考査が終わったらまた、そんな時間をつくろう。
 冬休みのスペシャル・サービス宿題はもう発表した。現代文は「○○へ」600字以上。古典は「むかし○○ありけり」古文200字以上。
──えーっ!?
──文集にするけど、ペンネームを使っていいから安心して書きなさい。紫いちぶでも、清中納言でも、在原ひらひらでも、AKB49でもいいぞ。 
 ゆっくり添削できるのが、非常勤の喜びだな。マッサンや、山口の『葦のズイから』の先生がしていることをいつか自分もしてみたかった。
 伊勢物語のときも、源氏のときも、例の3分間あらすじを話した。とくに、ギリシャ悲劇調源氏物語のときは、目を瞠いて集中している者もいるし、下を向いてしまって「もう聞きたくない」ようすの女の子もいる。でもね。ケータイ小説とちがってホンモノの小説はナマナマしさを避けることはできないんだよ。が、彼女らの様子をみていて、学級文庫山本周五郎の『やぶからし』を入れるのはやめにした。(かわりに、まず旭川におくります)そんなこと知らないままで大人になれるなら、そのほうがいいに決まっている。
 教室には、「あ、美しいな」と感じる子が当然のように混じっている。もちろん、いわゆる美人というのとは基準がまったく違う(はず)。なにか、匂うような要素がある。そんな子と目があったら、こっちまで少年にもどってしまいそうだけど、そこは63歳のすれっからしだから、素知らぬふりをする。でもバレてるかもね。
 そんな「におう」ような女の子に限って試験の点数がでない。なまけているわけではない。ノートをみたら、「ここまでやったのか」と驚くほど美しく、カラフルにノートを作っている。もう、それは、一つの作品、なにかのレシピ集みたいだ。、、、彼女たちはたぶん、そのノート作りに集中しているのだと思う。ノートが完成したら「義務はぜんぶ果たした。」だったら点数なんかもうどうでもいい。本気でそう思う。ベンキョウとはそういうものだ。
 前にも話したことだけど、10数年前、ニュージーランドから40人前後の高校生がやってきて、歓迎パーティーを開いたことがある。有数の進学校なのだという。その生徒のなかにアジアからの留学生が何人か混じっていた。そのうちの中国人だとおもわれる女の子に話しかけたとき、その子が実にはにかんだ表情で答えたのでびっくりした。そんなに経験豊富なわけではないが、中国人の女の子のはにかみに出会ったのははじめてだった。「留学しただけの甲斐があったのだな」
 普通教育の大切な役割とはそういうものだと思っている。羞恥とか、廉恥とかが身につけば、その教育にかけた費用と時間はもう100%生きたことになる。卒業式のあと、涙を浮かべながらFに歌を披露した生徒たちも、そんな貴重な、いい時間を過ごしたのだと思う。
 別のタイプの生徒もいる。部分訳しか黒板に書かず、「全文訳は自分で作りなさい。わからなくなったときは手を挙げたら教えにいくから」というと、すぐ手があがった。漢文だった。そのノートに書いている白文をみてびっくりした。「不得撃」が「撃得不」になっている。確かめたら、そんな箇所がたくさんある。が、もうそこは訂正させなかった。彼女は書き下し文を考えながら漢文を書いていたのだ。そしたら和式漢文になってしまった。でも、もう別にそれでいい。大切なのは漢文の読み書きができるようになることでも、高得点をとることでもない。出された課題を、自分の力でやり遂げようとすることなのだ。その過程で、きっと彼女にもうつくしい「におい」が生まれてくるだろう。いや、もう生まれかけている気がする。
──わかった。もう大丈夫。ありがとう。 
 彼らの出ていく社会は、その羞恥や廉恥や点数に結びつかない努力がいきづいている場所であってほしいと思う。

別件
 絶滅危惧種の話では、昨日、ガロが椅子の上にぴょんと跳び乗ったという。また、庭では、ピッピに、「追っかけっこ」を強要していたとか。しばらくなかったことだ。きっと余分なエネルギーが体に生まれはじめている。
 2匹がどちらも若いころは、追っかけ合いこをしているうちに、どっちが鬼なのかわからなくなって、白黒テレビで見ていた「トムとジェリー」状態にすぐなっていた。(トムとジェリーがいっしょになってグルグル回りをしているうちにバターになってしまう、というのがあった。いままででいちばん笑いころげたのは、それを見た時だった。なにしろ腹筋が痛くてしようがないのに笑いが止まらなかった。)そのうち、椅子に坐っているお父さんの膝に直接跳びのってくるかもしれない。そうなったらもうホンモノだ。
──元気になったらまた天草につれていってやるからな。
 お母さんは、熱を出して、朝飯を食い損なったのが、いまだに心残りなのだ。