堀田善衛『城館の人』読書ノート(3)

2011/11/23

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 旭川からのメールでは、はやくも積雪20㎝とか。北国ではあっという間に季節が進んでいく。それに比べて、わが福岡での季節の移ろいののろいこと、のろいこと。でも、その福岡からさらに1000㎞南に石垣島がある。その南北の長さにこそ、この国の豊かさが秘められている気がする。

 今日は、来週の試験範囲だという問題をやった。暉峻淑子(てるおかいつこ)女史の文章だった。それを読んでいて、やたらと気になったので、まずその話をする。女史は次のように言う。
「ひとくちに遺伝子といっても、外からの刺激によって現実に機能するものもあるし、内に眠ったまま自覚されないものもあるといいます。
 ですから、人間の社会は、それぞれの人がもつ潜在的な能力が発揮されやすいように、自由で多様性を許容する社会でなければなりません。」
 全体主義や独裁主義や弱肉強食の社会はいずれは死に絶えていく、というその考えそのものを否定する気はない。しかし、「内に眠ったまま自覚されない遺伝子」は、どれも社会的に有効なものだとなぜ思えるのだろう。それが不思議でならない。われわれの社会、いや、われわれの文明は、原始以来の獣の部分の遺伝子を順次眠らせていくことによって「文明化」してきた。ありていに言えば、われわれは飼い慣らされることに馴れることによって、かろうじて安心を得た生活を成り立たせている。暉峻女史もまた、そういう文明人の一人であるはずなのだ。それ自体にはいいも悪いもない遺伝子を、活性化させるほうがいい遺伝子と、眠ったままにしておくほうがいい遺伝子とに、もし分けようというのなら、それは、全体主義や独裁主義どころか、優生主義、断種主義と何らかわらない。。
 それに、ひとりひとりが自分のなかの潜在的な(いい)能力を発揮させるということが、はたしてGDH(だったかな?ブータンの国王か王子様は、久しぶりに気持ちがよかった)に貢献するのかどうか、はなはだ疑問だ。潜在能力を発現させることと、自己顕示欲をみたそうとすることとを、別々のこととするのは虫がよすぎる。かくいう先住民の息子の場合もまた同様である。
 いまの生徒たちを気にいっているのは、その善良さと寡欲さのせいだ。「こういう人たち──俗にいう中間層──が、この社会を安定させているのだな」その人間たちを美しいと感じる。いっしょにいられるのを幸運だと思う。
──あ、センセイ。今日センセイの授業ある?
──あるよ。
──やったあ。ラッキー。
 オレたちは、まだまだ生き方がヘタクソだ。
 女史の文章に引用されている木村資生の「分子レベルでの進化は、適者を選んでいる気配はなく、むしろ、ただ幸運なものが生き残る」という観察には魅力がある。しかし、それもまた突然、社会学的分野にチョクで敷衍して、自らの考えの傍証に使うというのは、あまりにも粗雑すぎる。木村氏の学説は、いわば顕微鏡レベルでの話であって、複雑怪奇な自然から隔離された単一の環境のなかでのことに過ぎない。もし、競争ではなく運が社会的サバイバルの原理だとするのなら、それはもはやニヒリズムとなにも変わらない。(遺伝子そのものは、もともとニヒルなものだ、と思ってはいるが。)老子小国寡民』や、陶淵明『桃花源記』には喉の渇き以上の胸騒ぎを覚えるが、書呆子RC流に言うならば、「この社会は、たとえ0,1%ずつでも、経済拡大をつづけていかなくてはいけない」のだと思う。
 女史の考え方には根本的に重大な欠陥がある。が、その重大な欠陥をもった文章のなんと耳触りのいいことだろう。いや、呑み込みやすいことだろう。なにか最近のはやりの言説を象徴しているように感じた。

 〈『城館の人』孫引き集〉を続ける。
「ローマには非常ににたくさんの特殊な信仰上の行為や教団があって、そこに敬神の立派な証拠が見られる。(当時のローマでは二十七カ国語が話されていたという)ところが一般市民としては、フランスの諸都市などよりも信仰が足りないようにみえる。むしろ儀式の方を重んじているようである。・・・
 ある男が売春婦といっしょにいて、寝台の上で思う存分やっている最中に、二十四時になってアヴェ・マリアの鐘が鳴ると、女はいきなり寝台から飛び降り、跪いてそこで祈りを捧げたのである。
 ・・・ローマの栄華とその主要な威厳は、宗教の外観に存する。これらの日〈聖木曜日その他〉の、宗教に対するおびただしい人々の熱狂は壮観である。」
 文責はもっぱらモンテーニュ堀田善衛と属する。
「星辰はローマ国家に、国家形態のなかでありうべき手本となる運命を与えた。ローマは自分のなかに、国家の蒙るあらゆる形態(貴族共和制、独裁制、帝政)と事件とを包含している。秩序と混乱が、幸運と不運が国家においてなしうるすべてをあわせ蔵している。この国が受け、かつ堪えてきた動揺と騒乱を見るならば、いかなる国が自分の状態に絶望しなければならないであろう。」
 モンテーニュがドイツ、スイス、イタリアの17ヶ月の旅行から帰ろうとしているフランスは宗教戦争のさなかであった。
「ローマの近郊は、ほとんどどこも耕作されていず、不毛のようである。これは耕地が不足しているか、あるいは、私はこっちの方が本当らしく思えるのだが、この町には小作人にような、自分の労働で暮らしていく人がいないせいである。ここに来る途中、私は田舎の人の群れに出会ったが、いずれもみなその季節が来ると葡萄園や庭園で働いて、何がしかを稼ごうとしてはるばるやってきた出稼ぎである。そして彼らはこれが毎年の収入のもとだと言っていた。ここはまったく宮廷と貴族社会の町である。そして誰も彼もが、信心深い怠惰を楽しんでいる。」
 楽しんでいる「信心深い怠惰」
 モンテーニュという人は、事や人を自分の余計な情緒をかぶせずに見ることのできる人であったらしい。
 
別件
 朝、長者原駅でたくさんの生徒たちといっしょになってしまった。考査期間なので朝課外がないのだ。
──セイセイ! なん変装しとうと?
 (今朝はコートを着て家を出た) 
 「トイレに行きたいのだからどけ」と言うと、どいてセンセイを行かせて、そのあとからついてくる。
──あめゆじゅとてちてけんじゃ。
──あめゆじゅとてちてけんじゃ。
──トイレまでついて来るな。集中させろ。