比ガ里荘便り2011/11/26

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 ピッピ9歳、ガロの6歳の誕生日を山小屋で迎えた。ガロの誕生日はほんとうは来週だが、「なんでもふたりいっしょ」。チクゴタロイモ(新しい自称)の兄弟がみな8月生まれだったので、誕生祝いの牛肉入りカレーライスは1回にまとめられていたのと同じかな。
 行く途中、いつもどおり基山のパーキング・エリアで「オシッコ・タイム」をつくって散歩させていると、車から出て横になって苦しんでいる犬を見かけた。ああ、もう死にかけているんだなと感じた。中年の女性がふたり寄り添って見守っている。ラブラドールとゴールデンのミックスに見えた。つい見ているうちに抱きかかえている女性と目が合ったので頭を下げた。女性も挨拶した。そのうち声もしなくなり、体も動かなくなった。
 そこらへんの草原を散歩させて、オシッコをさせて、振り向いたらもう車はいなくなっていた。
──かわいそうにねぇ。
──いや、二人から見守ってもらえたんだから、しあわせやっとうよ。
 平野台に着いたのは午後5時。ちょうど夕陽が一面のススキにあたって、なんともいい風情だった。夜は夜で星空。『冬の星座』という歌を小学校で習ったが、まさに「輝き揺れつつ星座はめぐ」っていた。一時期、天球儀つきで勉強をしていたツシマイエネコが、「あれは××、むこうに見えよる○○形が△△」と教えるのだが、目が悪いこともあって、さっぱり分からない。が美しかった。寒くなければもっと見ていたかった。
 翌朝、これも例によって、明るくなるともう、ドアをガリガリやって「サンポ」を要求する。仕方なしに外にでてビックリした。朝陽がさしかけているススキが原の美しかったこと、美しかったこと。
──お前たち、ありがとうね。
 本人たちの行きたいとおりに、最近「恋人たちの丘」と命名された所に上っていった。上には「愛の鐘」まで備えてある。そこにたどり着いてみた山の景色は、「東山魁夷の風景画は、あれは実景だったんだ」と思う不思議な美しさだった。紅葉とか黄葉とかいう表現ではまったく足りない。紫と茶色を主体にしたなかに赤と緑が混じっている。渾然としているというのはこういうことかと思う。理屈をつけるなら、たぶん、いわゆる紅葉が終わりかけに入っていたから、あの「晩秋」の景色を見ることができたのだろう。その晩秋の色を呼びあらわす語をわれわれは持っていない。「ことばで説明できるぐらいならオレは絵を描かん」高校の同級生の言った通りだ。
 朝飯のあとは、町がわざわざ我が家の前につくってくれた芝生広場でひなたぼっこ。木のベンチにはこっそりとチビたちを繋ぐための金具をとりつけているので、安心してウトウトしていた。ふと目覚めると二匹とも反対側に来ている。つながはずれていた。でも、お父さんの傍からは離れずにいる。
──ふたりとも偉くなったねぇ。
 体重が4㎏台に回復して絶好調の大魔王はその日、ウ○コを6回した。

別件
 もどってきたら、マッサンから、近況を報せておいた返信が届いていた。
──元気に年を越せるのはこれが最後かと思い出して数年。どうやら今年も越せそうだ。
 とあって、そのあとに、
──11月には由布岳に登ってきた。
 とある。あの方はもうバケモノの範疇に入る。
 そのマッサンの言葉。
──松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』は、志のある高校生に是非読ませたい。
 さて、今の学校ではなかなか難しそうだが、志のかけらをのこしているオジサンたちなら何人か知っている。まずは自分が読んでみましょう。