倍賞智恵子・奈良岡朋子

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2011/12/02
 昨日は朝から熱がでて、午前中は布団の中、午後もごろごろして過ごした。オンディーヌにやられて現実に戻りきれず、ふわふわしていたから、ちょうど良かったのかもしれない。
 布団のなかでスカパー!の番組表12月号をめくっていたら、かの『過去を持つ愛情』がある。筋書きが凝っているだけでなく、アマリア・ロドリゲスのファドをはじめて聞いた映画でもある。あれを見ていなかったらポルトガルには行かなかったかもしれない。
 今週の土曜日にはNHKBSで奈良岡朋子特集をやるとあるから予約した。週末は飯塚に帰る予定。
 ちょっと前に、小学校の同級生が、たぶん同じ番組で倍賞千恵子をみて、「あらためて好きになった」と言ってきた。あんな女優臭さがしない女優さんもめずらしい。「下町の太陽」は虚像にみえない。炭坑町で育ったあいつらしいなと思った。
 その反対なのが、(つまり一番にがてなのが)吉永小百合。あの人をみていると角兵衛獅子が思い浮かぶ。どんな役をやっていても違和感がある。最近は反原爆の詩の朗読会をやっているのがテレビで流れるが、それにも違和感を覚える。「あんた、たぶん、自分像がなくなったのね」
 彼女の演じた役柄で印象に残っているのは、「伊豆の踊子」と、題名は忘れたが、餘部鉄橋を越えたところにある温泉の芸者役。どちらも、自分から希望して選んだわけではない生き方をしている女性だった。
 じゃ、お前にはあやふやじゃない自分像があるのか、と訊かれそうだが、じつは、ないこともない。自分のセルフ・イメージを漢字であらわしたら「蹲」や「踞」がぴったりする気がする。うずくまってただ地面をみている自分が、いちばん自分らしいと思う。ちっぽけな畑で草むしりをしているときの充足感は、なにものにも代えがたい。
 奈良岡朋子の話は以前にも何度もした気がする。
 あれは、われわれと同時代の作家の宮本○○『××河』を映画化したやつだった。芸妓の十朱幸代に子どもを産ませた三国連太郎と離別して、商家へ後添いに入った奈良岡朋子は、夫の死んだ後、女将さんとしてその商家を切り盛りしている。子どもには恵まれないままだった。一方、三国連太郎のほうは落ちぶれはてて死んでいく。十朱幸代はほかの土地で生活を立て直す決心をして、息子を奈良岡朋子のところに挨拶に行かせる。
 他人の産んだ男の子を社会的礼儀の範囲内で遇した奈良岡朋子は、駅まで見送りにいく。しかし、汽車が動き出したとき「またおいで」と言ったあと、奈良岡朋子の心が一気に爆発して、血がつながっているわけではない男の子に窓越しに叫ぶ。
──お金がなんね。財産がなんね。そんなもんみんなアンタにくれちゃる。困ったことがあったらいつでも来んね。
 倍賞千恵子が、バツが悪くなっておいちゃんの家を出て行こうとする渥美清に言う「お兄ちゃん」もそうだが、人生が凝縮しているようなセリフというものがある。そのセリフ、その場面を見るだけのために、も一度映画館に入りたいと思う。
 歌手のなかにも、すぐれた才能がありながら持ち歌に恵まれないままのひとがいるように、俳優のなかにも「これ」という役柄を得られぬままに年をとるひともいる。逆に、あまりにもはまり役を得たために、幅をもつ機会を得られないひともいる。それぞれ様々ながら、それもまた人生、とくくりたくなる。
 作家も同じなんじゃないかな。宮本○○の小説は初期三部作以外をわざわざ読もうとは思わない。そういう読者を持っていることは、彼にとってはむしろ勲章であるはずだ。
 どんな人生もまた「ものすごい」ものであることに変わりはない。その「ものすごい」人生を、実にさりげなく演じた、(あるいは今も演じている)倍賞千恵子奈良岡朋子を知っていることは幸運だった。だからたぶん、いつかまた同じ話をしそうだ。
 
別件
 「後添い」で思い出したこと。
 グループ・ホームのYさん(90数歳)は若い女性が大好きで、介護士さんたちに嫌われている。
──お前は何歳か?
──100歳でぇす。
──?、、、そりゃなかろう。
 Yさんの片思いの対象であるにOさんからは、毎日のように肘鉄砲をくらっている。幸いなことに、(Yさんにとっては。Oさんにとっては不運なことに。)昨日のことは覚えていないから、毎日新鮮な気持ちでOさんを口説くことができる。が、さすがに、それが数年もつづくとYさんも疲れてきたのだろう。
──お前の顔はどこに出しても恥ずかしくない。しかし、その心がなあ、、、、。
 そのYさんに、ツシマイエネコと自分が夫婦だと紹介したが、納得しない。
──?、、、そりゃなかろう?
 Yさんにとってチクゴタロイモは、自分と同世代にしか見えないのだ。そうとうにながい時間、想像を巡らしたあとで、Yさんが結論を出した。
──後添いやな。こりゃ。