純粋を目指していけば白紙に近づく

2011/12/15
GFsへ
昨日で2学期の自分の授業が終わった。とびとびだったとは言え、約4ヶ月。毎回片道2時間かけて通いつづけたわけで、これから一ヶ月冬籠もりができると思うと、やっぱりほっとする。今日は畑にも行かず、家でごろごろして過ごす。
 なにしろ、不思議な学校だった。
 期末考査の答案返却の時期だったから、2〜3週間前。教室から思いっきり小柄な女の子が50歳ほどの男性教員に追いすがりながら、「センセ、平常点!!平常点!!」きっと赤点だったのだろう。教員が無反応なままに職員室に入って行こうとすると、その後ろから「ね。センセー、今度いっしょに遊びにいこうね!!」
 チクゴタロイモを含んだ他の教員たちが笑い出すと、そう言われた教員は憮然として自分の席に座った。
 もし、どっかの誰かさんから、その教員か生徒か、どっちかの人生をお前のと取り替えると言われたら、なんの躊躇もなく、生徒のほうを選ぶ。
 
 期末考査後の現代文は小論文の練習だった。実際に毎回課題をこなしていくのは半分くらいの生徒だったから、なんとかなった。1回ごとに、参考になりそうなものをあつめてB4のプリントにして渡す。
──このイニシャルは苗字?名前?
──さて、どっちかな。
 最終回は茂木健一郎の「KY」についての話。
 「先生、これ難しいね。」
 けっこう自分たち自身の問題として考えている。その中に、文章にはなりきれていないが、書いた本人の痛みが伝わってくるものがあった。皆にも読ませたいと思って、本人に「いいか?」と訊くと、「ぜったいイヤ」。そう言うだろうなと思っていた。だから、「しっかり読んだからな」と伝えたかったから、わざわざ訊ねたのであります。

 いつのまにか『若き詩人たちの青春』も第3章を終え、あと100ページちょっとになってしまった。
 読みつつ一番いま感じていることは何かというと、「人間に生まれてよかった」ということだ。
 しばらく前、東京で数学の教師をしていて早期退職した男からメールが届いた。母親の介護のために退職したんだと思いこんでいたが、ほかにも理由があったらしい。そのメールに、「オレは、教育とは疑うことを教えるものだと思っていた。が、お前は、信じることを生徒に教えようとしていたんだな。」とあった。そうかもしれない。(違うかもしれないけど。)ただし何を信じるかを教えようとしたのではない。信ずるために必要な勇気を教えようとしたのだと思う。勇気があることと臆病なこととは、けっして別々のことではない。
 堀田善衛はたぶん10代のときに「どの大学に行っているのかもわからない」田村隆一たちに出会い、20代に入って同じ大学の芥川比呂志たちに出会い、さらに帝大の中村真一郎加藤周一らに出会った。だいたいそれで当時の「若き詩人たち」の顔ぶれが一通り揃う。なんてこったと思いつつ、いや、もう東京中探しても、もはやそれくらいしか文学そのものをやろうという若者はいなかったのだ、と思う。少なすぎるから、まるっきり肌合いのちがう若者たちがお互いに知り合われる(自発を使いたいのだが、うまくいかない)ことになった。もちろん、そのほかに、統制行政というものの影響が大きかったのらしいが。
 堀田によると、芥川は「モリエール」をやり、次には中村真一郎(だと思う)の「世阿弥生誕500年記念詩劇」をやり、それから加藤の「竹取翁物語」をやる計画だったのだという。すでに対米戦争が始まっているのに、自分たちも徴兵されるのが目の前だというのに、出来るはずもない計画に熱中していた。そして堀田自身はその間に、浅草の少女歌劇の踊り子や、治安維持法で徹底的にいびられたことのある酒場の女や、アメリカに行った友人の女の子やらとの交際が断続的につづく。さらには左翼系の人々とも縁が切れない。そうしつつ、限られた時間を一日15,6時間の読書に費やす。
──世界中で、男と言えるのはレニンしかいそうになかった。
 が、日本の機関誌のことばは「下品」としか言いようがない。
 そして、芥川と省線に乗りつつ次のようにも言う。
──芝居をやりたい、文学をやりた・・・けれどもね、その芝居も文学も、決して芝居プロパー、文学プロパーだけでは出来ない、出来ているものでもない。文学や芝居は、その、実のところの中身は、もっとも非文学的、非芝居的なもので出来ているわけだ。ヴァレリーマラルメの言った純粋詩のいちばんの、いわば致命点は、彼らがそれをやればやるほど、純粋を目指して押しつめば押しつめるほど、そいつは次第に白紙に近づいていくわけだ。それで・・・・
──それはね、ぼくにもわかっているんだ。だけど・・・・

 思いっきり偉そうなことを言う。
 チクゴタロイモは、この若者たちがいとおしくて、いとおしくてならない。「髪ゆらゆらと雀慕ひつ」の少女と同じくらいに愛おしくてならない。 
 
 つづきはまた明日。

別件
 このあいだ、熊本のキャラクターであるクマモンを見ていて、ハタと気づいた。いまの学校に行き始めたころ、やたらと「勉強がニガテな生徒」から歓迎されたのは、ユルキャラだったからだ。そのことばの意味がやっと分かった。