ぼちぼち正月
2012/01/03
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でれでれと正月を過ごしている。夫婦そろって年を越したのが二回目。ましてや9日まで休みが続くなんて、結婚した年以来。が、去年とはちがって、これが当たり前のような感じがする。
元日の午前中はなんとなく過ごした。ピッピはお母さんを遠慮しいしい鼻先でツンツンして、甘えている。
──どっかに連れていってもらおうと思いよるとよ。
お父さんとお母さんがそろっていて、別にすることもないようなら、クルマで出かけたい。クルマで出かけるには、お母さんの力が是非とも必要だ。その理屈が分かっている。
──ピッピは頭がいいもんなぁ。でも今日はダメ。
ピッピの賢さにはほんとうに感心する。が、ではガロは頭が悪いのかというと、ヒモがなにかに絡んで動けなくなったときは、反対回りをすれば自由になれるという理屈を先に覚えたのはガロだった。下水溝にタヌキがいるのに瞬間的に気づくのもガロが先。(先日はタヌキが道路を走って下水溝に逃げ込んだ。チビたちは大騒ぎ。「ダメ。お前たちのほうが負ける。」タヌキだったと思う。ただし、ツシマイエネコによると、「裏山にしっぽが縞模様のタヌキがおった」というから、、、)ピッピの頭の働きは人間に近い。社会性に富んでいるように思う。ガロの場合は犬としての賢さなんじゃないかな。
──ガロもほんとは頭いいもんね。
マッサンからさっそく賀状が届いた。3,11のあと句をつくったという。
逃れえぬ生老病死土筆摘む
「ややあって、翻然、改作す。」
見据ゑてむ生老病死土筆(づくぼ)喰ふ
筑後タロイモの恩師は、教養がありすぎるために物事がありのままにお見えになれない怨みはあるが、まだまだ健在。
元日の新聞に天皇皇后の歌が載っていた。もう読んだとは思うが、全部コピーする。
天皇
〈東日本大震災の津波の映像を見て〉
黒き水うねり広がり進み行く仙台平野をいたみつつ見る
〈東日本大震災の被災者を見舞ひて〉
大いなるまがのいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる
〈東日本大震災後相馬市を訪れて〉
津波寄すと雄々しくも沖に出でし船もどりきてもやふ姿うれしき
〈ともに喜寿を迎へて〉
五十余年吾を支へ来し我が妹も七十七の歳迎へたり
〈仮設住宅の人々を思ひて〉
被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人
皇后
〈手紙〉
「生きてるといいねママお元気ですか」文に項(うな)傾(かぶ)し幼児眠る 〈海〉
何ごともあらざりしごと海のありかの大波は何にてありし
〈この年の春〉
草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝く
こういうのを歌というのだ。日本のうたというのは、こういうものなのだ。「いや、いったい、本人がほんとうに作りよるとか?」などという、パテント主義がこびりついた者には、日本の歌の機微はわからない。
ただし、皇后の歌の「罪なくて人の死にし春」は、たぶん皇后の感じたこととは相当にずれていると思う。キリスト教徒ならいざ知らず、99、9999パーセントの人はみな「罪なくて」死んでいくのだ。皇后が感じたのは、寿命尽きるまでの時間、死んでいく過程の違い、そして、いちどきに死んだひとの数のあまりの多さ、だったはずなのだが。
三好達治は、「自分たちのしたことではなくて起こることが、どうして悲しいだろう」とうたった。そういうふうにして起こった場所に「白い十字の花」が咲いた。主題はそのカタクリの花であるべきだ。それにしては、あとの七七が強すぎる。
別件
「しばらくは自分と話し込もう」と思っていたけど、なんとなく書き出した。今年は、ぼちぼちにします。