『西行論』を探して

2012/01/06
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 昨日、図書館に行ってきた。目的は、堀田善衛全集のなかに、『西行論』が入っていないか確認すること。残念ながら入っていなかった。未完のものを作品とするのに躊躇があったのか。しかし、全集には、いわゆる雑文も入っているのだから、別の事情があるのかもしれない。

 中村真一郎は『西行論』を、「堀田善衛の二十歳の遺書のような」と書いている。
 その部分を紹介します。

──突然に彼は『西行論』を書きはじめた。それは遺書かと思われる作品だった。同じ頃、『源氏物語』に凝っていた私は、やはり遺書のつもりで、仏文で『ネルヴァール論』に専心していた。お互いに死に方ばかり考えていた時期だった。
 世界大戦の爆発する直前の緊張した世相のなかで、私たちのようなチンピラ大学生まで、堀田は予備拘禁を受け、私は特高の訪問に遭う有様で、心の安まる間もなかったのである。大学の教室にまで、思想警察のスパイが学生服を着て堂々と出入りしていたのである。戦後の反戦運動のなかで、徴兵令状が来たらどうするかと問われた学生指導者が、直ちに破りすてると、事もなげに軽々と答えているのを聞いて、その太平楽ぶりに、私の胸は煮えかえったものだった。
 
 同じ、全集の月評のようなものには、『若き詩人たちの肖像』で登場人物にされた福永武彦が「あれはウソばかりだ」と息子に語った、とある。が、その息子は、「半分、テレがあったのだろう」と書いている。さて、どこらへんまでが本当のことなのか。特に、応召する前に会いに行った女性(年上じゃないかと感じている)の身元を知りたいと思う。それくらい強烈な印象がある。

 全集の何巻目かの後書きに、堀田善衛は次のように書いている。

──ここまで書いて来て、このあとがきをどうしめくくればよいかと思いあぐねて、筆者としてはこの巻に収められた『好きな詩 定家・蕪村・春夫』なるものを書き写しておきたい。

霜さゆるあしたの腹のふゆがれに一花さける大和撫子

君あしたに去ぬゆふべの心千々に
何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行きつ遊ぶ
岡のべの何ぞかく悲しき
たんぽぽの黄になづなの白う咲きたる
見る人ぞなき

さまよひくれば秋ぐさの
一つのこりて咲きにけり、
おもかげ見えてなつかしく
手折ればくるし、花ちりぬ。

・・・・
一は、鎌倉初期。
二は、文化年代。
三は、昭和初期。
一、二、三を通じて、如何にも清楚なるものの通うを見る。
 
 
 図書館から借りてきたのは、前から気になっていた中沢新一の『哲学の東北』。(その出だしは、宮沢賢治についてだった。ちょうど去年『永訣の朝』をやったクラスには、最初の授業でその出だしの部分を配ろうと思う。ちゃんと読む者が何人いるかは知らないが、それはこれまでと一緒だ。)新年の読書は、これと『広場の孤独』からはじめる。そのあとに一年ぶりの田村隆一が控えているのだが、すんなりと行くかどうかはまた、その時のなりゆき、ということにする。

別件
 近所の50歳前後かと思われる女性(まだ名前は知らない)が、最近ピッピを見かけから駆け寄って可愛がってくれる。
──ピーちゃん元気やったね? 久しぶりやねぇ。お散歩? いいねぇ。
 以前、家にピッピとよく似た犬のユーちゃんががいたのだそうだ。
──ウンコまだ? じゃ、お爺ちゃんとお散歩に行きなさい。