春まぢか

2012/02/24(金)
 菜の花、福寿草。福岡はだんだんにぎやかになってきた。庭の十月桜も花の数がずいぶん多くなってきたし、花の赤みもましてきた。
 先週から4〜5日、ゲホゲホばかりでしんどかったので、今朝は久しぶりのお散歩。
天気もよくて、日本の母は、「海に行くゥ」。子どもの頃、砂浜で遊ばせているうちに、勝手に家に帰り始めて、道路に出たところでトラックにひかれかけて以後、しばらくは近づこうとしなかったのだが、また行きはじめた。面白くてしかたがないらしい。
 砂浜での一番の楽しみは波と喧嘩すること。寄せてくる波に向かって身構えては大声で吠えまくる。波は平気で押し寄せてくるから、その度に後ろに飛び退いてはまた吠える。先代のリィもそうだった。ところが大魔王はまったく無関心。ただ「何か食べ物はないか」と匂いを嗅いで回っている。おなじ自分の子どもなのに何でこんなに違うのだろう。が、バイオリズムが下降気味だった大魔王も、どうやら元気が出てきたので、ひと安心。(今年に入って、庭でウ○コをしたなと思って新聞紙をもって行き、「ウ○コは?」と言うと、とんとんとんと案内して鼻先で「クン」。偶然だったのかもしれないと思っていたら、ツシマイエネコにも同じことをしたそうだ。意識的な行為だとすると、リィなみに成長したことになる。リィのころは仕事が多かったので、夜の散歩はいつも真っ暗。「どこか?」と言うと教えた。)二月末の我が家はたぶん平穏になりそうだ。
 散歩の帰り道で、まるまる太ったシュナウザーに会う。初対面なのに、お互いに鼻先をくっつけあって匂いを嗅ぐ。ふだんは嫌がるお尻の匂い嗅ぎにも応じる。「相性がよくて良かったですね。」「本当ですな。」医者からは8,5キロが限界だと言われていたのに10キロを越えたという。「飼い主の失敗です。」日本の母は8キロを越えてから飼い主が鬼になって減量作戦開始。いまは7キロで安定している。息子は一時4キロを割っていたが、いまはたぶん4,5キロ。「こんど病院に行ったとき、医者を驚かせるんだ」と、お母さんは張り切っている。それまで調子が持続するかどうかは分からない。
 昨夕は今津湾のまわりを久しぶりに歩く。すぐ横にある貯水池を浚渫するというのでしばらく立ち入り禁止になっていた。その浚渫した汚泥を、水鳥たちのサンクチュアリになっていた茅の茂みに積み上げていって、完全につぶした。「そこは何に使うんだ」と工事をしている人に訊いたら、「たぶん、駐車場か何かにするつもりじゃないですか」。子どもたちは無事だったのかどうかわからない。気のせいか数が少ない気もするが、もう旅だったものたちも多いのかも知れない。
 クリークをきれいにコンクリートで固めて以来、そこを縄張りにしていたクイナを見かけなくなった。今度はカモがいい災難。来年きたときは藻がたくさん生えていて食べ放題にはなるだろうけど。
 人間にとっての環境と、野鳥たちや、タヌキたちにとっての環境の調和というのはむずかしい。第一、福岡市内でこんなに身近に自然がたくさんあるところはもう珍しい。一時期、今津湾埋め立ての話が出ていたらしいが、さすがに立ち消えになった。「もし、本格的な話になったら騒いでやるから心配するな」と言っても「でも、、」と、ご主人様の行動力をまったく信用していなかったけど、どうやらその力を発揮せずにすみそうだ。すでにヨレヨレになっているから助かった。

別件
 山崎正和の新著『世界文明史の試み──神話と舞踊』は読んでみる。
 このまえ読んだのは、読後感が、『ヒロシマ、私の恋人』とすごく似ていたのが印象的だった『アイヒマンと呼ばれた男』(戯曲──題名を間違えているかも知れない)。なんだか粛然となった。もうずいぶん前のことだったように思う。
 が、その前に、田村隆一西脇順三郎草野心平。そこまでは、いったん遡らないと、リセットできそうにない。