いまから日田のしだれ桜を見にゆく

2012/04/06

 旅行からもどってきて6日目。向こうでのことにまだ現実感がない。ということはたぶん、これからもずっと現実感がないままになるのだろう。夢のようなではなく、夢だったんだなあれは。いい夢だった。ただし、食い物の味だけは舌に残っているのが不思議だ。
 朝の散歩でランドセルを背負ったヨッちゃんに会う。ヨッちゃんが走り出すとチビたちが追いかける。
──競走しよっか?
 坂の最後でヨッちゃんがダッシュして、
──いちばぁん。
 チビたちを指さして、
──二番、三番。
 それからお爺ちゃんを指さして、
──よんばぁん。
 「ドゲ」と言われなくてよかった。福岡にはない言葉なのかな。「ドンケツ」とも言っていた。
 さらに歩いていくと、知り合いの小学生がぞろぞろ歩いてくる。
──あ、ピッピ、ガロ、お久しぶりね。
 名前を覚えている子があんなにいるとは思わなかった。女の子の人気者なんだ。
 帰りに寄った公園には宴会の跡。食い物や飲み物のにおいがしみついているのだろう、チビたちはクンクンやって、なかなか帰ろうとしない。けっきょく一時間半の散歩になった。こんな日常なら、あと100年つづいても飽きない。みんなで長生きしよう。
 それにしても春はいい。
 東洋大の女史が「秋入学には反対」と言ってきた。「季節感は大切な要素だ」。
 でも、100年つづいたことでも変わる。明治維新のときは数百年つづいたことが大きく変わった。めちゃくちゃに変わった。それでも日本人は日本人のままだった。いまのほうが、日本人はアブナイ。も一度背筋を伸ばし直すために、なんらかのけじめをつけたほうがいい。
 農協(それもいまやJAか)がTPPに反対しているけど、兼業農家だらけになった今の状態は不健康だ。守るべきものを明確にさせる契機になるならTPP交渉も推進賛成。ただし、交渉ごとだから、丸呑みの必要はまったくない。と同時に、JAをそのまま維持させることにわれわれが援助する必要性はまったく感じない。むしろ、あの巨大組織が日本の農業を堕落させ、衰微させてきたのではないか。
 明治維新後120数年。敗戦後60数年。この国は、も一度リストラの時期を迎えているのだろう。かといって、大阪の維新の会もまたアブナイ気がするけどね。
 この春、何を読んでいたのか忘れたが、大久保利通はほんとうに偉い男だったんだなと感じることがあった。偉すぎたから殺された。しかし、日本の路線は敷いていた。・・・そうか、大佛次郎天皇の世紀』は次の次くらいに読みはじめよう。その次の次くらいには徳富蘇峰の『近世国民史』。
 2〜3日前、大阪で採譜されたという、『娘道成寺』(坂田藤十郎77歳のあでやかだったこと!!)の原曲を手に入れたツシマイエネコが興奮して、「アタシにはちゃんとした目的がある。なんの目的もなしにパソコンにばかり向かって何になるのか?」と言った。そのときは体がぶるぶる震えていた。本気で言っている。
 彼女の目的はよく分かっている。日本の伝統文化を受け継いで、次世代に受け渡すことだ。あの人は、自分の能力などは斟酌せず、本気でそうしようとしている。見上げたもんだ。
 おれにはそんな高尚な目的はない。ただ、横浜が言っていた通りに、「日本人になろう」と思っているだけだ。その日本人になりつつあることの、なんと甘美なことよ。
──ここはどこか?
 自分は誰か、ではない。自分の知りたいことは、ほとんどその一つに尽きる。時空をこえたその場所への触感さえ?めたら、あとはそこに骨をうずめるだけだ。ただし、そのことを、文学的比喩としてではなく、現実的に実行しようという、これはもはや妄想の域に達している。その妄想をわしづかみにしたい。
 去年の九月から、まるで山の分校の先生になったような気分になって、片道2時間かけて須恵にかよった。貴重な時間だった。おかげで、広島への墓参りと、離任したあとの感傷旅行で、どうやらリセットできた。
 これからはまた、偉そうなことや、sの言う新説・珍説を、ぼちぼち書きます。
 きょうはこれから、日田のしだれ桜を見に出かける。時期的にちょうどピッタリにような気がするので期待している。いつかこの時期に遊びにきて下さい。三春の桜に負けない美しさだと思うよ。