明日は初仕事

2012/04/10

 福岡は午後から雨。公園には桜がびっしり散っている。南国はもうこれからは初夏となる。
 裏山の前には、ことしも「残雪しだれ」という名だというしだれ花桃がどんどん咲き始めた。昨年か一昨年かにも書いたが、「白というのは色彩ではなく物質だ」と感じさせる混ざり気のない白さ。しかし、最盛期は過ぎたのかもしれないな。なにごとにも最盛期はある。最近チビは遠出をしたがらなくなってきた。もう今年で10歳。自分のテリトリーを維持するのに腐心する時期になったのかもしれない。
 明日が初仕事。三年生のクラス(いわゆる私文)だという。「もう受験指導はいいよ」と思っていたけど、今年は雇われるほうだから贅沢ばかり言うわけにもいかなかった。
 こんどの学校は居心地がいいかもしれない。春休みに打ち合わせに出向いたとき、部活生なのだと思うが、じろっとこちらを品定めする目で見る。相手の人品も確かめもせずに、「こんにちわ」と挨拶させる学校はニガテだ。
さて、最初の一時間くらいは、何かしゃべるか。
 いま、ふたつのことを考えている。
 ひとつはベンキョウのこと。あとひとつはジンセイのこと。
 ベンキョウの話は、「急がば回れ」。
 三教科に強くなりたかったら、もうしばらくは全教科をベンキョウしなさい、ということにしよう。
 数学や理科など、受験科目ではない教科を早く捨てすぎると、伸ばしたい教科の伸びが途中で止まるぞ。・・・ほんとうかどうかは知らない。が、数学と物理がニガテだった自分が、大人になってから劣等感なしにそれらに関する事柄について考えていけるのは、高校時代に苦しんだおかげだとは思う。
 文系のものほど理系の科目に苦しんでおくほうがいい。三文だったらなおさら苦しまないと損だ。三理の者は受験科目の偏差値をあげなくてはいけないが、三文の生徒にはその必要がない。ただ苦しむだけでいい。その苦しんでいる間に、将来必要になってくる神経回路が脳細胞のなかに作り出されていく。
 ジンセイの話は、この世に勝利者なぞいない、という例の話。
 オリンピックで金メダルをとった者も、いずれは敗者になる。大抵の者は敗者になるのを避けるために引退する。それは卑怯者の生き方にすぎない。そして老いていく。もし老いた時もゴールドメダリストだったことにしがみついているとするなら、それは老人ホームで、「私は若い頃は美しくて男にもてた」と言いつのる婆さんとなんら変わらない。
 すべては敗残者だ。ただその敗残者には、幸福な敗残者と、醜い敗残者がいる。どうせなら幸福な敗残者になろう。そのためには、とことん闘うこと。勝つつもりで戦いつづけること。そして半端な敗者ではなく、完璧な敗者になること。それが幸福への道につながる。
 昔、宮崎という剣道家がいた。永久に破られることはないだろうと思われる、日本選手権連覇(何年つづいたか)を果たした。強いなんてもんじゃなかった。試合を見ていても稽古をつけているようで、面白くないほど強かった。その宮崎が引退して数年後、また日本選手権に出た。その決勝で相手に一本とられた。そのとられ方がハンパじゃなかった。ジタバタせずに、まるで俎の上の鯉のようにすぱっと完璧に切られた。一本の取られ方で感動したのは、あとにも先にもあの一度だけだ。「格が違うんだな」
 しかし、この話を剣道をしている同世代の人間に言っても相手になろうとしない。(そういうケースは実に多い。自分の分野に「ど素人」が口出しするのを嫌う。ましてや、自分が考えなかったことを言われると不機嫌になる。)その人はたぶん幸福度が浅いのだと思う。生き方が浅いといっても同じ。敗者度が浅いと言っても変わらない。
 この最後の話は、生徒には言わない。言葉じゃ分からない。
 が、福岡には園田という金メダリストの柔道家で高校女子柔道の指導者がいる。この人の生徒の育て方の基本は生徒から投げられることだという。女の子たちは、オリンピック金メダリストを投げ飛ばしたくて努力する。セイセイはその女の子たちの期待に応えてやる。ただし、その成長度によって投げられるレベルをあげえゆく。つまり、少しずつ負荷をふやしていく。そして、投げられて投げられて女子柔道家を育てる。この話は、志のある若い教員に出会ったらしたい。その機会があるかどうかはしらないけど。

別件
 先週末、久しぶりで山小屋。
 朝の散歩の時、二人して穴掘りに夢中になり、そうなるともうお父さんの言葉も耳に入らない。それが、あそこに行ったときの最大の楽しみなのだから、ひとしきり泥だらけになるまでやらせる。
 それで、興奮してしまって、まだ先まで行くという。
──もう、そっちはダメ。
 いつもなら、くるっとUターンするのに、日本の母はうらめしそうな目でこちらをじいっと見る。
──どうして? なぜ?
──そっちはアブナイ。
 と言うと、あっさり諦めてUターンした。これって、会話でしょ?